何でこんなにスゴいのか? 50周年を迎えた「バカっ速クルマだらけ」のBMW Mをまるっと紹介 (1/2ページ)

この記事をまとめると

■2022年はBMW M社にとって創業50周年にあたる記念イヤー

■その使命はモータースポーツでの活躍によるBMW市販車の販促で、その結果、3.0CSLを生み出した

■BMW Mチューニングしたエンジンの回転フィールの緻密さ・重厚さの感触はハンパない

モータースポーツの側からBMWを支えるために誕生したBMW M社

 エンジン車はEVにとって代わられるべし的な、一方的で粗っぽい論調の目立つ昨今だが、「未来感」の過剰消費が青田買いに酔う前に、ふり返っておきたい節目がある。2022年の今年は、BMWモータースポーツGmbHこと「BMW M」のブランド創立50周年記念イヤーだ。

「BMW Motorsport GmbH」がBMWのレース活動を一手に担う専業部門として別会社化されたのは1972年5月のこと。それまでBMWは、戦前の328のようなスポーツカーや1960年代のノイエ・クラッセをはじめとする一連のスポーツサルーンで知られていたが、むしろ起源となった2輪のイメージの強い、どちらかといえば軽量級メーカーだった。

 それが「バイエルンのエンジン工場(BMWのこと)」の名にかけて、モータースポーツ専科をしばしば略して「M」とか「M社」と呼ばれる会社組織を立ち上げたのだから、その経営判断の凄まじいアグレッシブさがうかがえる。今日もライバルたるメルセデス・ベンツは1960年代末からAMGを擁していたとはいえ、あくまで公認の立場で、モータースポーツ部門の別会社として直轄化されるのは1999年のこと。クワトロGmbHことアウディ・スポーツの前身が形づくられたのは1980年代以降だから、いかにBMWとM社が先進的だったか。

 1970年代よりBMWは2リッターの市販エンジンで争われていた欧州F2で圧倒的な強さを発揮し始めていたが、M社ことBMWモータースポーツGmbHの使命は、エンジン・サプライヤーとして実績を積むのではなく、モータースポーツの側からBMWの市販モデルを推進することだった。

 その最初の成功例が、1973年の欧州ツーリングカー選手権のために開発され、年間タイトルを獲ったBMW3.0CSLだ。CSLとは「Coupé Sport Leichtbau(クーペ・シュポルト・ライヒトバウ、軽量構造のスポーツクーペの意)」のこと。開発には2002ターボ時代からの盟友、アルピナもがっつり手を貸していた。

「バットモービル」とアダ名された、シャークノーズにフロントフェンダー上の整流フィン、そして巨大なウィングをまとった3.0CSLの姿形が、「ライヒトバウ」という呪文めいたドイツ語の響きとともに、いきなり現れたインパクトとはどのようなものだったか。

 まだ60年代風のクロームバンパーと丸っこいボディラインが支配的だった昭和40年代末に、想像してみて欲しい。それは走るモダン建築のような、しかもバカッ速物件だった。濃い目サングラスにパンチパーマといった昭和のお洒落兄さんたちが、「おっ、ベンベーだ! ベンベーだ!」と、BMWとすれ違うたびに騒いでいたのは、そういう原体験があったのだ。


南陽一浩 NANYO KAZUHIRO

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愛車
アウディA6(C5世代)
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ランニング
好きな有名人
コロッケ、サンシャイン池崎

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