「いつかは……」じゃダメ! 背伸びしてでも20代のウチに欲しいクルマは手に入れるべきだった (2/2ページ)

のちの人生やカーライフに影響を与える可能性も秘めている

4)同じジャンルや車種のオーナーとの出逢いが人生を変える?

「類は友を呼ぶ」といいますが、それはクルマの世界も同じ。幼なじみや学生時代の友人とはまた違った価値観や生活環境にある人、さらには世代を超えた出逢いもあるはずです。

 なかにはその業界のオーソリティだったり、じつは同業者だったり、お互いに共通の友人知人がいたり……と、思いがけない出逢いや「世間は狭い」と実感するできごともあるでしょう。

 これだけSNSを含めて、インターネットを介した交流が盛んに行われているわけですし、この便利なツールを使わない手はありません。インターネットがなければ知り合えないであろう人たちとの出逢いが、じつは憧れのクルマを手に入れる以上に価値があることもありますし……。

 誰がいったか「クルマはコミュニケーションツール」。これは事実だと思います。

 もちろんなかには誰にも邪魔されず自分だけで楽しみたいという方もいるはずなので、ソロキャンならぬソロカーライフのジャンルがもっと確立されてもいいのかも……。

5)年齢を重ねてからよき思い出となる

「多少背伸びしてでも憧れのクルマを手に入れる(入れた)」ということは、何かを犠牲にしてオーナーとなる(なった)確率が高いはずです。

 しかし、20代のうちに憧れのクルマと過ごした時間、出掛けた場所、苦労話……。これはいつしか年齢を重ねるごとに「よき思い出」となって記憶されていきます。

 もちろん40代、50代、それ以降に経験しても「よき思い出」になることは確かですが、冒頭の「体力・気力・視力・動体視力」が充実している若いときに経験したからこそ価値のある、そしてのちの人生やカーライフに大きな影響を与える可能性も秘めていることは確かです。

 定年退職や子育てが一段落したから、自分へのご褒美として憧れのクルマを手に入れるのは、20代のそれはとは異なる「頑張ってきた自分へのご褒美」であり、別モノと考えるべきでしょう。

まとめ:理屈抜きにクルマが楽しめる時期は案外短い

 とくに目的地もなくあてのなくドライブをする。好きな音楽を聴くためにクルマを走らせる。友人知人、そしてパートナーと会話や景色を見ながらドライブをする。

 時間と体力と気力と、そしてある程度自由に使えるお金があるからこそできる、じつは極上のひとときです。

「1杯の美味しいラーメンを食べるため」だけに、わざわざ片道100kmのドライブなんてぜいたくと無駄の極みです。

 すべての人がそうなるとは限りませんが、やがて「めんどくさー」が先立つようになってきます。その手前に美味しいラーメン屋さんはほかにもあるし、「わざわざそんな遠くまでいかなくてもいいよね?」といった、至極まっとうな結論にたどり着いてしまうのです(悲しい……)。

 夏になると各地で大合唱している「アブラゼミ」の成虫の生涯はわずか1週間ほどだそうです。理屈抜きドライブが楽しい時期も、じつは思った以上に短く、そしていちど通り過ぎると戻れません。今さらながら、理屈抜きにクルマが楽しめる時期は案外短いように感じます。

 この「理屈抜きにクルマが楽しめる時期」がすでに過去形になった身としては「じつはわずかなしかない極上の時間」を楽しんでいただくことを願うばかりです。夜な夜なドライブとか、久しぶりにやってみたいものですが、気力が……(YouTubeで首都高ドライブをライブ配信してくださる方がいて、仕事中にこの動画を観るのが密かな楽しみです)。


松村 透 MATSUMURA TOHRU

エディター/ライター/ディレクター/プランナー

愛車
1970年式ポルシェ911S(通称プラレール号)/2016年式フォルクスワーゲン トゥーラン
趣味
公私ともにクルマ漬けです
好きな有名人
藤沢武生

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