スバリストや日産党に比べると……トヨタに「熱狂的ファン」が少ない理由とは? (1/2ページ)

この記事をまとめると

■過去、「販売のトヨタ」と言われることがあった

■トヨタは売れているが、熱狂的なファンが少ない印象がある

■その理由やトヨタの今後について考えてみた

熱狂的なトヨタファンは少ない印象

 昭和の時代には、“技術の日産”というフレーズが世の中で広く認知されていた。一方で“販売のトヨタ”ということもいわれていた。日産ではフェアレディZやスカイラインなどクルマ好きから高い支持を得ており、クルマ好きをうならせるモデルが目立つことは、“技術の日産”を裏付ける効果があったのかもしれない。そしてコアな日産ファンというものも目立っていた。一方のトヨタは当時から万人受けするモデルを多く扱っていた。筆者の私見となるが、技術的にも冒険をあまりしないところが、クルマに対してそれほど趣味性を持たず、実用性を重んじる人から支持されていたように見えた。

 初代ホンダ・シビックが大ヒットし、海外の動きもあり、日本のいわゆる大衆車クラスのFF(フロントエンジン・フロントドライブ)化が進んだ。1980年にそれまでのFR(フロントエンジン・リヤドライブ)からFFへ代わった5代目マツダ・ファミリアが登場すると大ヒットした。カローラの宿敵、日産サニーも1981年に登場した5代目でFFへと代わったが、トヨタ・カローラは1983年に登場した5代目でようやくセダン(5ドアハッチバック)をFF化している(レビン系はFRのまま)。

 日産やホンダ車を愛好する人の多くがカローラのFF化は遅れていると感じていたが、トヨタ車ユーザーからみると、「“機が熟した”からカローラもFFになった」と好意的に受け止める人も多かったようだ。つまりクルマ好きが飛びつくような、最新トレンドや斬新な技術導入をいち早く行わず、ある意味、安全運転に終始するトヨタの姿勢と、それを支持するユーザー層の傾向もあり、“熱狂的なトヨタファンが少ない”というイメージが定着してしまったのかもしれない。

 アメリカに目を向けると、年齢の高い層ではトヨタをトラックブランドというイメージを強く持つ人も少なくない。トヨタに限らず、そして日本車に限らず巨大市場であるアメリカで、過去にいきなりアメリカ車の“一丁目一番地”にあたる販売中核カテゴリーモデルで販売活動を始めることはかなり難しかった。とくに昭和のころでは、とにかく大きいボディサイズに大排気量(日本でのトラックのような排気量も珍しくなかった)V型エンジン搭載車が、どのカテゴリーでも需要のメインなので対抗できるわけがなかった。つまり、まずニッチなカテゴリーでビジネスを始めるのが常道であった。

 そこで日本車が目を付けたのが、アメリカでは“軽トラック”のような存在となる、フォードFシリーズなどより小さい、小型ピックアップトラックであった。トヨタは当然ながら小型ピックアップトラックだけでなく、乗用車もアメリカへ輸出して販売していたが、消費者の多くは、小型ピックアップトラックのほうが思い浮かべやすかったらしく、トラックブランドというイメージが一部で定着することとなった。

 一方で日産は1969年におもに対米戦略車として、初代フェアレディZを発売する。目論見通り、アメリカ、とくに西海岸あたりで大ヒットすることになる。日産はロングノーズスタイルの2ドアクーペであるフェアレディZの大ヒットで、いち早く乗用車ブランドという認知をアメリカの消費者から得たのである。

 トヨタも1970年に初代セリカを発表し、アメリカ市場でも展開するのだが、ファーストペンギンであり、その独特のスタイルを持つフェアレディZほどのインパクトを消費者に与えることができなかったようである。

 ホンダは低燃費の小型車シビックで一躍アメリカにて注目のブランドとなった。いまではアメリカ国内の新車販売でもナンバー1となる実力を見せるトヨタだが、乗用車でインパクトのかなり強いモデルを市場参入初期にラインアップできなかったことが、日産やホンダなどとトヨタに対するアメリカでのブランドイメージの微妙な違い(トヨタは実用性の高いクルマのブランド?)を招いてしまったともいえよう。


小林敦志 ATSUSHI KOBAYASHI

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愛車
2019年式トヨタ・カローラ セダン S
趣味
乗りバス(路線バスに乗って小旅行すること)
好きな有名人
渡 哲也(団長)、石原裕次郎(課長) ※故人となりますがいまも大ファンです(西部警察の聖地巡りもひとりで楽しんでおります)

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