どうみても4輪車のカタチなのに3輪車! 遊びじゃなくて大真面目に作られたイギリス車「フリスキー」って何もの? (2/2ページ)

いまなお魅力的なスタイリングに人気もうなぎのぼり

 フリスキースポーツの発売後、フラワー大尉はその利権をメドウズから譲ってもらい、晴れてフリスキーカーズLtd.を設立。もっとも、マーストン社というクルマのシートカバーを作るメーカーがスポンサーという独立だったので、フラワー大尉はここでもマネージングディレクターの役割を担いながらも、まだ思いどおりというわけにはいかなかったようです。

 それでも、フリスキースポーツに続く魅力的な新型モデルをリリースしはじめ、フリスキーカーズの出だしは好調そのもの。フリスキースポーツのサルーンバージョンとなる「フリスキークーペ」を1958年9月にデビューさせると、すぐさま同じボディを使った「フリスキーファミリースリー」と「フリスキースプリント」を10月に開催されたアールズコート自動車ショーに出品。意欲的な3モデルによってフリスキーへの注目度は一気に高まったのでした。

 ファミリースリーはその名のとおり後ろ1輪の3輪車で、同じくヴィリアーズのエンジンながら197ccへと小型化、イギリス国内ではバイクの免許で乗れるというのがセールスポイントとなったのです。

 また、ミケロッティが描いたフリスキースポーツをなぞったスタイリングは大いに人気を博し、スペシャルオーダーでさらなるカスタムをする顧客も少なくなかった様子。

 実際、そんなフリスキーのスペシャルモデルはビンテージカーオークションでも人気の的で、先日も8万4000ドル(およそ1200万円)という落札価格がついたほど。ルーフを切り払い、おそらくは古いリライアントあたりのスクリーンを使ったオープンカーで、前2輪・後1輪のファミリースリーのように3輪スタイルにカスタムされたその姿は、オモチャのように可愛らしいマシンです。

 また、フラワー大尉がフェニックス計画の頃から温めていたアイディアがフリスキースプリント。メドウズ時代に工場の片隅で作られたというオープンスポーツカーで、ほかのフリスキーよりも大型化され、リヤアクスルにはついにデファレンシャルギヤを装備(笑)。エクセルシオールと呼ばれる500ccの3気筒エンジンを搭載し、最高速は145km/hに達したといわれます。なぜかホワイトのボディにブルーのセンターフラッシュという、アメリカン・ナショナルチームのカラーリングが採用されていますが、残念ながらコンセプトモデルとして発表されただけで、市販には至っていません。

 ただし、この後にフリスキーから独立した盟友、ゴードン・ベドソンがオーストラリアの小規模メーカー「ライトバーン」に加わると、よく似たスポーツカー「ゼータスポーツ」をリリース。フリスキー製スポーツカーへの情熱は、フラワー大尉に劣ることなくベドソンを突き動かしたのでしょう。

 ちなみに、ワンオフのスプリントは長らく行方不明になっていましたが、熱心な愛好家によって保護され、がっちりとレストアを受けたとのこと。このあたりのエピソードも胸アツで、最初にフリスキーを世に送り出したヘンリー・メドウズの孫が開設したフリスキーの公認組織「フリスキー・レジスター」が詳細を公開しています。

 ところで、フリスキーはこの後もファミリースリーMkIIや、フリスキースポーツのマイナーチェンジ版となるフリスキープリンスなどをリリースするのですが、経営難や度重なる買収などによりメーカー自体が疲弊してしまい、早くも1961年には生産中止となってしまいました。フラワー大尉は失意のうちに故郷のエイヴォンに引退かと思いきや、フリスキーの部品を引き取り、メンテナンスサービスなどを担った会社「フリスキー・スペアズ・アンド・サービス」を陰から応援するなど奮闘したとのこと。

 それでも、1966年にはこの会社も取引を停止、事実上フリスキーは消失してしまったのです。が、1978年に上述のレジスターが発足すると、フリスキーファンはにわかに元気づけられました。と同時に、オークションでの知名度も徐々に上がり、いまや人気もうなぎ上り。

 フラワー大尉の功績が末永く称えられること、そしてフリスキーの元気な個体がいつまでも存在してくれることを願うクルマ好きは決して少数派ではなさそうです。


石橋 寛 ISHIBASHI HIROSHI

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三菱パジェロミニ/ビューエルXB12R/KTM 690SMC
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DJ(DJ Bassy名義で活動中)/バイク(コースデビューしてコケまくり)
好きな有名人
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