誰が呼んだか「走るシーラカンス」! 22年間もフルモデルチェンジをしなかった三菱デボネア

この記事をまとめると

デボネアは三菱のフラッグシップセダンとしてラインアップされていた

■ライバルであるクラウンやセドグロを販売面で上まわることはできなかった

■初代デボネアは1964年から1986年までモデルチェンジなしに生産されて「走るシーラカンス」と称された

アメ車風のスタイリングで独自の路線をひた走ったデボネア

 現在ではデリカシリーズやアウトランダーPHEVなど、クロスオーバーSUVと電動パワートレインのイメージが強い三菱だが、過去には幅広い車種をもつフルラインアップを誇る時代も存在していた。

 そんな時代にフラッグシップセダンとして君臨していたのがデボネアであり、トヨタ・クラウンや日産セドリック/グロリアといった同クラスのライバルと同じカテゴリーに属するモデルとなっていた。

 1964年に登場したデボネアは、5ナンバーサイズのボディでありながらアメリカのビッグセダンを思わせる押し出しの強いスタイリングをしており、これはライバル車にはないデボネアならではの特徴となっている。

 とはいえやはりクラウンやセドグロの壁は高く、販売面ではライバル車種を上まわることはできなかった。しかしデボネアは、三菱系企業の役員車として活用されることが中心だったため継続的な需要があり、フルモデルチェンジこそしないものの適宜細かな改良がなされていた。

 搭載エンジンも当初は直列6気筒の2リッターOHVだったが、1970年にはギャランに搭載されていたエンジンをベースとしたSOHCの2リッター直6エンジンへと変更。さらに、1976年にはサイレントシャフト付きのSOHC直列4気筒2.6リッターに換装されるなど、時代に即した変更がなされている。

 エクステリアも、基本的なスタイルはほぼそのままながら、1969年にはテールエンドフィニッシャーの廃止やフロントディスクブレーキ化によるホイールの14インチ化などの近代化が図られ、また1973年にはフロントドアの三角窓の廃止やテールランプをL字型から一文字型に変更するなど、常に細かな変更がなされており、外観の特徴である程度の年式を推測することができるようになっている。

 結局、初代デボネアは1964年から1986年まで、22年もの長きに渡ってフルモデルチェンジすることなく生産・販売が続けられた。化石種と現生種の間でも形態的な差異がほとんど見られずに「生きている化石」とも評されるシーラカンスになぞらえ、「走るシーラカンス」という異名が付けられたほど。

 新車としてはヒットしたとは言い難い初代デボネアではあったが、そのアメ車風のルックスから、アメリカンカスタムを施す「代用アメ車」として人気を博した時期もあった。また、1960年代デビューの旧車でありながら、1980年代半ばまで生産されていたことから安心して旧車の雰囲気が味わえるモデルとなっており、中古車としては安定した人気を誇っている。


小鮒康一 KOBUNA KOICHI

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日産リーフ(2代目)/ユーノス ロードスター/マツダ・ロードスター(2代目) /ホンダS660/ホンダ・オデッセイ(初代)/ 日産パルサー(初代)
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