織戸選手にとって思い出のマシン
——織戸選手は1997年にRS-Rシルビアに乗られていましたが、どんなマシンでしたか?
織戸選手:当時のGT300クラスはリアルに300馬力ちょっとのマシンだったからね。ノーマルエンジンにタービンを変えて、350馬力ぐらいの感じだったから、チューニングカーの延長にあったと思う。
——当時は輸入車勢が速かったんですよね? そのなかでシルビアはどうでしたか?
織戸選手:純レーシングカーのポルシェが速かったよね。でも、シルビアはNISMOがパッケージカーとしてリリースしていたからよくできたクルマだった。実際、その前の年につちやエンジニアリングが開発したMR2でGT300クラスに参戦していたんだけど、JTCCで使われていたエンジンが搭載されていたこともあって、MR2はかなりレーシーな仕上がりになっていた一方で、ドライビングが難しいクルマだった。でも、シルビアはチューニングカーにスリックタイヤを履いたような雰囲気だったので、乗りやすいクルマだった。
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——シルビアに乗り始めて、いきなり開幕戦の鈴鹿で勝っていますが、開幕の段階から仕上がりがよかったんでしょうか?
織戸選手:NISMOもチームも総力を上げていたので、それなりにパフォーマンスはあったと思う。
——その後も優勝したり、2位、3位で表彰台を取ったりと順調にポイントを重ねていましたよね。その状況で最終戦のSUGOを迎えたと思いますが、なにか印象に残っていますか?
織戸選手:タイサンのポルシェとタイトル争いを演じていて、前でチェッカーを受けたほうがチャンピオン……という状況のなか、最終戦のSUGOはスタートで雨が降っていたんだよね。で、途中からドライアップしていって、後半は僕と新田選手のバトルになった。お互いに濡れた路面でスリックタイヤだったけど、前を走っていた新田選手がピットアウトしたところでスピン。その隙をついて前に出て、なんとかチャンピオンになることができた。
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——こうやって振り返ってみると、シルビアはどのコースでも上位でチェッカーを受けているので、オールマイティなクルマだったのでしょうか?
織戸選手:足まわりとかは、すごくよかったと思うので、どのコースでもそんなに悪くなかったと思う。
——シルビアで初めてチャンピオンを獲得したことに思い入れはありますか?
織戸選手:シルビアが好きで、自分でも乗っていたからね。それにフル参戦1年目でチャンピオンになれたことは大きかったし、自信にもなったよ。
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以上、織戸選手に当時の思い出を聞いた。続いては、当時織戸選手を起用していたレーシング・プロジェクト・バンドウでチーム代表を務めていた坂東正明氏(現GTA代表取締役)を直撃。
——1997年にレーシング・プロジェクト・バンドウでシルビアを投入されましたが、そのきっかけはなんだったでしょうか?
坂東氏:それまではずっとトヨタ車でレースをやっていて、自分たちでクルマを作ってきたけれど、NISMOが本格的にGT300クラスにも参入するということもあって、S14にしたんだよね。主要パーツとかも作られていたから、イチから作ることはなかったけれど、ホワイトボディに近い状態だったので、隣にあったレーシングサービス中春と自分たちで組み上げた記憶がある。
——当時のGT300クラスはチームで独自にできることが多かったんですよね?
坂東氏:当時はJAF-GTのような形で、チームで作れることが多かった。S14も細かい部分は自分たちで作ったよ。
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——シルビアの投入1年目でタイトルを獲得できましたが、順調でしたか?
坂東氏:開幕前のテストではトラブルがあって大変だったけれど、その後は悪くなかったと思う。それに結果としてチャンピオンを獲得できたからね。チームとしてもよかったし、RS-Rが初めてフルサポートしたシーズンだったから、いい形で終われてよかった。
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今年2月に開催された大阪オートメッセでRS-Rシルビアが展示されていたが、このようにRS-Rシルビアは現在、aprのドライバーとして30号車「apr GR86 GT」を駆る織戸選手にとってもレーシング・プロジェクト・バンドウにとってもメモリアルな1台で、多くのストーリーが込められている。
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