高っかいクルマを少量売って儲ける「スーパーカービジネス」の歴史! 発祥はフェラーリで復活ブガッティが道を広げた!! (2/2ページ)

スーパーカーの世界は次のステージへ

 このフェラーリに対抗してフェルッチオ・ランボルギーニによって1963年に設立されたのが、正確にはアウトモビリ・フェルッチオ・ランボルギーニの名で登記されたランボルギーニだ。

 ランボルギーニというと、イメージするのはミウラ、カウンタックと続く12気筒ミッドシップモデルだが、フェルッチオが創立時に生産を望んだのは、高級なGT(グラン・ツーリスモ)だった。モータースポーツへの進出を嫌う彼は、しかしながらフェラーリに匹敵する高価格車を市場に投入。ミウラの誕生はフェラーリにやはり12気筒ミッドシップの365GTB4BBのデビューを促し、オーバー300km/hの最高速戦争がここで勃発する。

 フェラーリとランボルギーニ。かつてはこのふたつのメーカーが、スーパーカーの頂点に位置するブランドとして誰もが認めるところだった。このふたつのブランドを超える価格のスーパーカーを発売しても、それは売れるわけはないというのもまた定説のひとつだった。

 だが、1990年代を迎えると、それに対抗すべく、それまでの常識を覆すメーカーが次々に名乗りをあげるようになる。そのきっかけとなったのは、1987年にイタリアのモデナにブガッティが再建され、1991年にEB110を発売したこと。あるいはその1年後にあたる1992年には、マクラーレンから「F1」が発表されたことの影響力が大きく、もはやフェラーリやランボルギーニが定めた枠を超えたスーパーカーを開発し、それを販売することがタブーではなくなったのだ。

 ちなみにこちらも超高価格なモデルを販売するパガーニは1992年の設立。スウェーデンのケーニグゼグは、それに若干遅れて1994年にビジネスを立ち上げている。

 そして、現在のスーパーカー、いやもはやハイパーカーと表現するべきだろうかは、エレクトリックモーターという新しいメカニズムを導入したことで、1000馬力、2000馬力という最高出力を、いとも簡単にカタログに掲げる時代になった。

 現在、そのプロジェクトが進行中であることが確認されているなかで、もっとも過激な数字を掲げるのは、UAEのデンヴォによるシックスティーン。

 それは12.3リッターのV型16気筒クワッドターボエンジンを5007馬力の最高出力で搭載するサーキット専用車だが、価格は約1億5000万円。いま存在するハイパーカーのなかでは、意外にリーズナブルなプライスに感じるから不思議である。


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山崎元裕 YAMAZAKI MOTOHIRO

AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員 /WCOTY(世界カーオブザイヤー)選考委員/ボッシュ・CDR(クラッシュ・データー・リトリーバル)

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