この記事をまとめると
■英国車の象徴だったコーチラインは現在ほぼロールスロイスのみで継承
■手描きによる繊細な技術は看板職人出身のマーク・コート氏が一手に担う
■1本の線に宿る芸術性と職人魂が高額オプションの価値を裏付ける
英国流高級車の伝統は消えつつある
ロールス・ロイスやジャガーといったイギリス製高級車にはコーチラインというアクセサリーが付きもの。フロントからリヤまでのボディサイドに施された細いラインで、1本線だったり2本だったりして、カラーまで選べることがほとんどです。また、高級車だけでなくロータスやジェンセン、オースチンといったメイクスでも、コーチラインを喜んで加えるユーザーも少なくありませんでした。それだけイギリスではポピュラーだったのですが、最近はとんと見かけなくなりました。メーカーオプションで現存しているのは、クルマならばロールス・ロイスくらいのものでしょう。
ロールス・ロイスのコーチライン画像はこちら
コーチラインは、その昔は職人による筆塗りがデフォルトでした。近年になってデカールも用意され、ジャガーなどは多用していたようです。職人による手塗りは当然コストも増すわけで、致し方のないところ。ですが、素人目でも手塗りかデカールかの違いは一目瞭然。これはラインに微妙な曲がりや筆むらがあるわけではなく、デカールはあまりに一本調子であり、はっきりわかってしまうのです。
手塗りによるコーチラインの調色画像はこちら
コストの面からみると、やはり筆塗りは高価格になりがち。ロールス・ロイスの場合、ボディ両サイドのコンプリートで200万~250万円のエクストラが請求されるようです。職人に対するギャランティだけでなく、ブランドが保つ芸術性へのコストだと考えれば納得もしやすいかと。なにしろ、ロールス・ロイス社内でコーチライン職人はたったひとりしかいないそうで、かけがえのない技術にほかならないからでしょう。
手作業でボディに筆を入れるようす画像はこちら
そんな唯一無二のロールス・ロイス社員にして、ペインティングエキスパートと称されているのがマーク・コート氏。これまでに2000台以上のロールスロイスにコーチラインをはじめ、特別なエンブレムや文様まで描いてきたとのこと。聞けば、もともとは看板職人として筆を振るっていたのですが、コーチラインの美しさに惹かれてロールス・ロイスへと入社。当初は親方をはじめ数人のペインターが在籍していたものの、年を追うごとに減っていき「気づいたら私ひとりになっていました」とコート氏。
ボディにコーチラインを引くマーク・コート氏画像はこちら
コート氏が親方から伝授されたコーチラインの描き方は、「最初にマスキングテープを目印として貼る。そこから特殊な鉛筆で下書きを施してから筆を走らせる」と、なんだか簡単そうに聞こえます。
が、「周囲のことが一切気にならないほどの集中力が求められる。親方からは描く際に息を止めることがコツだと教わったので、いまでも無意識のうちに息が止まっているよ」と、実際は苦行のような厳しさ。この厳しさのために、「ファントムなら4時間ほど、ボートテールのようなワンオフモデルであればその倍はかかる」のだそうです。やってみればわかりますが、3m以上もの直線を歪みなく描ききるのは至難の業。むしろ、コート氏の描くラインなら高額なオプション設定もお得なものにさえ感じるはず。
手作業でコーチラインを引くようす画像はこちら
なお、ペイントに用いる筆も特別製で、毛先が長く塗料の粘度に合わせたコシが必要だとか。一般的にはイタチやタヌキの毛が好まれるようですが、コート氏がどんな筆を使っているかは当然「企業秘密」なようです。また、ロールス・ロイス以外ではバイクメーカーのトライアンフでもコーチライン的なペイントを施すオプション、または限定車がありました。
いずれにしろ、手描きでなければ味わえない独特な美しさをもったコーチライン。一度はそれが似合うクルマやバイクに乗ってみたくなるのは、クルマ好きの夢かもしれません。