伝説の6輪F1マシンの実車を生で拝めるチャンス! タイレルP34は決して「イロモノ」じゃない戦績を残したマシンだった (2/2ページ)

他コンストラクターも追従するも実戦投入前に6輪は禁止に

 実際のところ、フロントタイヤの空気抵抗は減っても、リヤタイヤは他車と同じサイズだったので、前影投影面積はたいして変わらず、トップスピードの面ではライバルに対しアドバンテージがあったとはいえない状況に……。

 その代わり、フロントタイヤのキャパシティが増えたことでストッピングパワーに関しては他車より優れていて、ハンドリングに関しても1976年のスウェーデンGPにこのマシンで優勝したジョディ・シェクターは、かなりコントローラブルだったとコメントしており、1977年にタイレルP34のパイロットになったロニー・ピーターソン(1977年第7戦ベルギーGPで3位)は、「6輪ドリフト」でコーナーを駆け抜けていくことがしばしばあった。

 このタイレルP34に触発され、ウィリアムズ、マーチ、フェラーリの3チームでも6輪のF1マシンが検討され、とくにウィリアムズでは、フロント2輪、リア4輪(リア4輪の4WD)を開発し、実走テストも行っている。

 これらの実戦投入直前に、1983年に車両規定の改正が行われ、「車輪は4輪まで」と明文化されたために「シックスホイーラー」のF1マシンはタイレルP34の1台のみとなっている。

 その本家のP34も、P34しか装着されない専用の小径タイヤの開発が進まず、パフォーマンスが頭打ちに……。デザイナーのデレック・ガードナーも1977年にチームを離れることになったので、史上初の6輪F1マシン、タイレルP34は1976~1977年の2シーズン限りでグランプリシーンを去ってしまった。

 しかし、タイレルP34は記録以上に記憶に残る無比無類のマシンであり、いまでもその雄姿に心惹かれているモータースポーツファンは少なくない。


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藤田竜太 FUJITA RYUTA

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