エランはエライ! ロードスターにも影響を与えたロータスのライトウエイトスポーツに敬礼!! (2/2ページ)

10年以上の歴史をもつ初期ロータスの大ヒットモデル

 1964年に登場した進化型の「S2」では、翌1965年にFHC=フィクスドヘッドクーペ仕様も追加される。オープン仕様がロータスの社内型式ではタイプ26と呼ばれていたのに対して、新たにタイプ36と呼ばれたこのFHCモデルは、エランにさらに新たなカスタマー層を迎え入れる大きな原動力ともなった。

 1966年には115馬力の最高出力を掲げる「S2SE」も誕生。このS2SEでは、サスペンションにもスポーティなテイストのセッティングが与えられたほか、ブレーキもサーボ機構付きのものに変更されるなど、走りへのこだわりはさらに強くなった。

 エランはその後も1966年には「S3」、1968年には「S4」へと進化し、その過程で運動性能はもちろんのこと、快適性もまた着実に向上していった。

 その象徴的な例となったのが、ホイールベースをそれまでの2134mmから2435mmに拡大することで2+2のキャビンを実現した「+2=プラス2」。

 1968年に登場した初代エランの最終進化型「S4」では、その豪華バージョンとなる「+2S」や、最高出力で126馬力を達成した「エラン・スプリント」もリリースされている。

 ちなみに初代エランは、1975年までその生産が継続されるが(2シーターモデルはひと足早く1973年に生産が中止されている)、1962年からの総販売台数はじつに約1万8000台を記録するに至った。

 初代エランはその後のライトウエイトスポーツカーの開発にも大きな影響を与えた。そして、その影響力が現在でもなお健在であることは、最初に触れたマツダ・ロードスターなどの例からも証明されている。

 ライトウエイトスポーツカーの歴史を語るうえで欠かすことのできないロータスの初代エラン。それは誰もが一度はそのステアリングを握ってみたいと考える一台にほかならないのだ。


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山崎元裕 YAMAZAKI MOTOHIRO

AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員 /WCOTY(世界カーオブザイヤー)選考委員/ボッシュ・CDR(クラッシュ・データー・リトリーバル)

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