この記事をまとめると
■日産サニーと「魔法使いサニー」は同時期の1966年に登場した
■商標の関係でアニメのタイトルは「サニー」から「サリー」へ変更された
■サニーは多彩な派生モデルを経て2004年に国内販売を終了した
商標問題でやむなくタイトル変更
日産のベーシックカーとして、1966年から2004年まで38年もの長きにわたってラインアップされていたサニー。ガチンコのライバル関係にあったトヨタ・カローラと熾烈な販売競争を繰りひろげ、切磋琢磨しながら互いに進化を続けていた。
そんなサニーの車名は一般公募によって名づけられていたのだが、同じ名前を付けられた漫画作品が存在していた。それが日産サニーと同じ1966年に発表された「魔法使いサリー」である。
1966年7月から連載を開始した同作品は当初、「魔法使いサニー」として掲載されていたのだが、同年12月からテレビアニメ化がなされることとなり、同じ車名をもつサニーを販売する日産自動車へ使用許諾をもらおうと動いた。
初代日産サニーのフロントスタイリング画像はこちら
しかし、じつのところサニーという商標は、日産ではなくソニーグループが保有していた。これは語感が「ソニー」に近いものを押さえて混同されないようにという思惑の上で行われていたもので、日産はソニーとの協議の上で使用していたのである。
そのため東映動画(現:東映アニメーション)もソニーに許諾の交渉を行ったのだが、残念ながら許可を得ることができなかったため、魔法使いサニーから魔法使いサリーへと名前を変更することになったというワケなのだ。
そんな逸話のあるサニーだが、自動車のほうはモータースポーツのベース車にも選ばれるようなモデルで、クーペモデルが存在したり、遊び心のあるステーションワゴンタイプの「サニーカリフォルニア」やピックアップトラックの「サニートラック」が存在したりと幅広いバリエーションを誇っていた。
日産サニーカリフォルニアのフロントスタイリング画像はこちら
しかし、代を重ねるごとにユーザーの高齢化が顕著となり、小型セダンの需要も縮小してしまったことで2004年に日本での販売を終了。
その後継車種として登場したティーダラティオも新たな層のユーザーを獲得するには至らず、2代目のラティオはマーチとメカニズムを共有するなどクラスダウンしたことで既存のユーザーまでもが離れることとなり、日産の小型セダンの系譜は一旦途切れることとなってしまった。
日産ラティオのフロントスタイリング画像はこちら
ただ、ここのところの日産には欧州でマイクラ(日本名マーチ)を復活させるなど、過去のブランドを再構築する動きも見られるため、サニーの名前が復活する可能性もゼロではないかもしれない。