この記事をまとめると
■40種も存在したといわれるビートル後継の量産試作車のなかでも歴史に残る2台を紹介
■ピエヒが主導した「EA266」は床下エンジンの革新的ミッドシップだった
■「EA276」はより現実的なFFレイアウトを採用し初代ゴルフへと結実した
「世界のベンチマーク」ゴルフは一筋縄では生まれなかった
きわめて優秀なトップバッターに続く2番バッターは、野球ならば送りバントというのが定石。ですが、クルマの場合はそんなセオリーは通用しそうにありません。フォルクスワーゲン・ビートルという偉大なトップバッターの2番手に特大ホームランが期待されたこと、クルマ好きなら想像がつくのでは。なるほどゴルフという2番バッター誕生前には、かなりのすったもんだがあったようです。
フォルクスワーゲン・ゴルフは初代が1974年に発売されました。ビートルの発売からざっと30年後のことで、フォルクスワーゲンの偉大なるトップバッターにもさすがに古臭さが否めなくなっていたわけです。無論、VWとてビートルの次なるモデル開発を怠っていたわけではありません。そのころの社長によれば、40種もの量産試作車を作っていたとか。
初代フォルクスワーゲン・ゴルフのフロントスタイリング画像はこちら
なかでもEA266と276と呼ばれる試作車は完成度が高く、現代の目で見ても「ビートルの後継モデルっぽい」と思えなくもありません。いずれも2ボックスタイプのボディワークを採り、ビートルで指摘されていた乗員スペースの効率化を図っているあたりは似通っています。が、じつのところ、パッケージは大いに異なり、266はボツ、276の考えかたが量産ゴルフに採用されたのでした。
266はご存じの方もいるでしょうが、VWがビートル同様にポルシェ社に設計開発を依頼したもの。すでにフランスの戦犯刑務所から救出されていたフェルディナンド・ポルシェ博士は、孫のフェルディナンド・ピエヒを開発主任に抜擢。のちのVWグループ総帥も、このころは才気渙発な若手エンジニア。ビートルのあとを継ぐのはオレだ! くらいの気合いが入っていたはずです。
フォルクスワーゲンEA266のフロントスタイリング画像はこちら
ピエヒはまずミッドシップにすることを選びました。なにはともあれ操安、というか乗って楽しいクルマを目指したのでしょう。ただ、それだと後席スペースに難が出るということで、エンジンを床下に収納というアクロバティックなアイディアを思いつきました。これは操安とスペースに対するソリューションとして、後年トヨタの初代エスティマやホンダZなどで使われています。