利用者の運転士へのリスペクトがあまりにも欠けている
 お金の話以外は、利用者が運転士をリスペクトする気もちがあまりにも欠けているところも大きいように見える。前述した運転士の給料ダウンの話はその顕著な例といえるだろう。「バスを運転するだけの仕事でその給料は高すぎる」というのは明らかに配慮の欠けた考え方のように見える。新型コロナウイルス感染拡大がひどかったころも、感染に怯えながらバスの運行を続けた、とくに路線バス運転士はまさにエッセンシャルワーカーなのである。
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 そのような職業に従事しているひとの給料を平気で「もらいすぎている」と、市の交通局も看過できないほどクレームがくるというのは筆者から見れば異常とでしか表現できない。そもそも他人の収入について、その業務内容もよくわからずに「もらいすぎ」とすることができること自体信じられない。
 多くの地域で路線バスの運賃体系は距離制をとっており、乗車距離に応じて運賃が高くなるのだが、大都市、たとえば東京都では23区内でどこまで乗っても都営バスならば210円の均一運賃となっており、これがさらに事業者の首をしめることになっている。
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 日本人は、とかく路線バスやタクシーのような、わかりやすくいえば日銭商売」を見下す傾向が目立っている。とくにトラック運転士を含め、運転士という職業を理由もなくさげすむひとが目立っている。荷物を荷主から預かり先送り先にしっかり届ける、乗客を安心・安全に送り届けるのが運転士の最大の使命であり、そのほかは付随した業務ともいえるのだが、太陽光がまぶしいのでサングラスを運転士がかけようしても、念入りに「おことわり」をしないとたちまちクレームとなってしまう。
 帽子や上着を脱ぐことや夏季のノーネクタイにいたるまで念入りに利用者に半ば“許可”をもらわないとできないというプレッシャーのなかで安心・安全な旅客輸送を心がけないといけないというのは並みの人間ではできないことのように思える。
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 さらに運転士を悩ますのがインバウンド(訪日外国人観光客)利用者である。とくにアメリカではバスや地下鉄など公共交通機関は治安が悪いし、定時運行もまず行われていないこともあり、一般市民の多くは日々利用した経験がないケースが多い。東南アジアなどの新興国でもマイカーを所有できるぐらい余裕ができると、日々の移動はほぼマイカーに頼ることになる。
 つまり日本でバスや地下鉄に乗るということ自体、テーマパークのアトラクションに乗るような気もちとなっているインバウンドも驚くほどいるので、動画配信サイトに迷惑動画をあげてしまうひとが多いものと筆者は考えている。「この仕事に就いてまさか外国語で苦労するなんて」と頭を抱える運転士もいまでは少なくないと聞いている。
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「クルマを運転するだけの仕事だろ」と、運転士という仕事を軽くみてしまいがちになるのだろうが、他人を乗せた車両を運転するということは、まったく別の責任感を帯びてステアリングを握ることになるし、そのなかでよほどの荒天でもないかぎりは日々運行を続けてくれるのだから、もう少しリスペクトされて当然だと筆者は考えている。
 いままでは「子どものころからバスの運転士になりたかった」という、ある意味ピュアな気もちから従事するひとも多かったので収入面はそれほど意識されてこなかった面もあるが、女性運転士は今後も増加していくし、割り切りのいい若い世代を呼び込みたいのならば、仕事に見合った待遇というものの整備は必要となるだろう。
「どうせじきに自動運転になるんだろ」と、最近新たに運転士を蔑むトレンドが増えている。それでも現状はまだ運転士に日々バス運行は支えられていることはけっして忘れないで利用してもらいたいものと考えている。