止まらないデルタ伝説
アウディが大柄の「200クワトロ」、マツダが1.6リッターターボのコンパクトな「323 4WD」を投入するなか、ランチアはコンパクトなボディにパワフルな2000ccターボエンジンを搭載したデルタを投入した。そのパフォーマンスは高く、9勝を挙げたランチアがマニュファクチャラーズ部門でタイトルを獲得したほか、ユハ・カンクネンがドライバー部門を制したことで、ランチアが2冠を達成した。
1988年にブリスターフェンダーでボディを拡幅した「デルタ・インテグラーレ」を投入したことによりミキ・ビアシオンがドライバー部門を制したほか、ランチアがマニュファクチャラー部門で2連覇を達成。
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さらに、1989年にはエンジンを16バルブ化し、最高出力を185馬力から200馬力に引き上げた「デルタ・インテグラーレ16V」を投入することで、ビアシオンがドライバー部門で2連覇、ランチアがマニュファクチャラー部門で3連覇を達成した。
その後もランチアは、1990年、1991年とマニュファクチャラー部門で連覇を重ねた。1991年をもってランチアはワークス活動を終了したが、1992年には210馬力にパワーアップを果たした「デルタ・インテグラーレ・エボルツィオーネ」を投入しており、サテライトチームのジョリークラブの活躍により、ランチアがマニュファクチャラー部門で6連覇を達成した。
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それ以降は、ライバルメーカーも2リッターターボ+4WDターボというパッケージを採用し、トヨタ・セリカGT-Fourやスバル・レガシィ、三菱ギャランといった日本メーカーがWRCの最前線で活躍。ランチアのWRCにおける活動は、1993年をもって終了することとなったが、ランチア・デルタは6シーズンで46勝を獲得し、1987年から1992年にかけてマニュファクチャラー部門で6連覇を達成するなど、WRCでもっとも成功を収めたラリーカーとなったのである。
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まさに、ランチア・デルタはグループA時代に黄金期を築く原動力となったのだが、その最大の要因は、時代に先駆けてコンパクトな4WDモデルにハイパワーな2リッターターボエンジンを組み合わせたこと、そして絶えず進化を果たしていったことにほかならない。
果たして、2026年のWRC2にデビューするランチア・イプシロン・ラリー2 HFインテグラーレが、ラリーシーンで新しいムーブメントを築けるのか? その動向に注目したいものだ。