日本人34年ぶりの快挙はどうやって達成された? 勝田貴元が語るWRC初優勝のウラ側 (1/3ページ)

この記事をまとめると

■WRCで勝田貴元選手が念願の初優勝を飾った

■パンクを連発しながらも攻めない戦い方で勝利をもぎ取った

■勝田選手が取材会で明かした初勝利の裏事情をお届け

勝田選手が語る初優勝の裏側

 WRC(世界ラリー選手権)第3戦「サファリ・ラリー・ケニア」が3月12〜15日、アフリカのケニアで開催され、トヨタGAZOOレーシングWRTでGRヤリスRally1を駆る勝田貴元選手が自身初優勝を獲得。日本人ドライバーとしては1991年にアイボリーコースト・ラリーを制した篠塚建次郎選手以来、34年ぶりのWRC優勝となった。

 このサファリ・ラリーは、シリーズでもっとも過酷なイベントで、勝田選手も数多くのトラブルに見舞われていた。

 まず、12日(木)のデイ1ではインカムのトラブルにより4番手に出遅れたほか、13日(金)のデイ2ではダブルパンクチャーに祟られて、荒れたステージでは抑えた走りを強いられていた。さらに14日(土)のデイ3でもダブルパンクチャーに見舞われたが、クレバーな走りが功を奏したのか、ライバルかつチームメイトの脱落によって、勝田選手はデイ3をトップでフィニッシュ。15日(日)のデイ4ではポジションをキープし、悲願の初優勝を獲得した。

 勝田選手はどのような気もちを抱きながらサファリラリーを戦っていたのか? そして、初優勝の気もち、今後の意気込みは? 初優勝の翌日、勝田選手はメディアの取材会で自身の言葉で語ってくれた。

 まず、ご存じだと思いますが、サファリ・ラリー・ケニアで自身初の総合優勝を獲得することができました。日本人としては34年ぶりで、その前は篠塚建次郎選手がアイボリーコーストで優勝されました。自分自身としては、そういう歴史とか何回目とか気にするタイプではないですけど、やはり篠塚選手さんが30年前に築き上げたひとつの歴史に続いて、ふたり目になれたということは光栄に思いますし、誇りに思います。

 サファリ・ラリー・ケニアが終わって、いま(3月16日)はヨーロッパの自宅に戻ってきましたが、まだ実感はなく、夢だったのかなって思うぐらいの感覚です。

 11年前の2015年にトヨタGAZOOレーシングが立ち上げた若手育成プログラム、WRCチャレンジプログラムでフィンランドに引っ越してからラリーのキャリアが始まったんですけど、そこから11年経ってようやくWRCで表彰台の一番上に立つことができました。これまでかかわってきてくださった皆さんへ感謝の気もちが強いです。それに、最初からずっと力強いサポートをしてくれている豊田章男会長には感謝の気もちをすぐに伝えました。

 競技を振り返るとレッキを含めて本当に長い1週間で初日からトラブルがあってインターコムが使えないことから、ペースノートが聞こえない状況のなか、一番難しいステージが始まりました。そこはコンディションの変化もあってロスも最小限に抑えられたことからデイ1を4番手で終わることができたんですけど、今度は金曜日にダブルパンクチャーがあって、あと1本でもパンクしたらリタイヤになってしまう状況のなかで走行していましたし、土曜日も同じ状況でダブルパンクチャーがありました。そこもなんとか乗り越えて、結果的に土曜日を終えたころにはトップに立つことができました。

 そこから、1分20秒ぐらいの差があったし、チームからも結果をもち帰ったうえで、走り切って欲しい伝えられていたので、プッシュしてタイムを競うというよりは、貯金を使いながらリスクマネジメントをして走行していました。日曜日に残っていた4つのステージもタイムを計算しながら、ペースを落として、リスクを最小限に落としたなかで走り切って、総合優勝で終えることができました。

 以上、勝田選手は簡単にサファリ・ラリー・ケニアの流れを振り返ったうえで、質疑応答に対応してくれた。


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廣本 泉 HIROMOTO IZUMI

JMS(日本モータースポーツ記者会)会員

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