クラシック「ミニ」っていえば英国車……だけどイタリア産もあった! 日本でもけっこう走ってた「イノチェンティ」ミニとは

この記事をまとめると

■イノチェンティはBMCと提携しイタリアでミニを生産した過去がある

■独自デザインや装備で英国版とは異なる魅力をもっていた

■たび重なる資本変遷を経てブランドは消滅した

英国だけじゃないミニの歴史

 3月2日はミニの日だった。もちろん3を「ミ」2を「ニ」と読むので日本限定の記念日だが、せっかくなのでイタリア生まれのミニという変化球ネタを投げ込むことにしよう。

 イタリアでミニを作っていたのは、イノチェンティというメーカー。創業者のフェルディナンド・イノチェンティは第2次世界大戦前は大規模な鋼管工場を経営していたが、戦争で破壊されたこともあり、戦後は平和産業に転換。そこで選んだのがスクーターで、ランブレッタの名前で送り出され、敗戦からの復興に貢献した。飛行機作りからスクーターに進出したピアッジオのベスパ、我がスバルのラビットと似たようなストーリーだ。

 続いてフェルディナンドはクルマへの進出を計画。ここでパートナーに選んだのが英国BMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)だった。BMCもヨーロッパ大陸に進出できるということで快諾し、ライセンス生産が決定した。まず作られたのはオースチンA40で、続いてヒーレー・スプライトをベースに、カロッツェリア・ギアのボディを組み合わせたスパイダー(その後クーペに進化)などをリリースしたあと、クラシック・ミニが登場した。

 これがイノチェンティ・ミニで、木枠のついたワゴンボディも「ミニT」の名前で用意されたほか、高性能版のクーパーも当初998cc、その後1275ccとしてラインアップされた。このイタリアン・ミニ、ほかのイノチェンティとは違い、日本にも並行輸入でそれなりの数が入ってきた。理由は1971年に英国のミニ・クーパーSの生産が終わったあとも、クーパーがあったから。

 もちろん左ハンドルで、エクステリアはブラックグリル、インテリアは6連メーターと、イタリアンならではの演出が施されていた。ドアに三角窓があったことも英国版との違い。でもツインキャブのOHVエンジンをはじめ、中身はほぼミニだったこともあり、「イノチェン」の呼び名とともにマニアに親しまれた。しかし1974年にモデルチェンジを実施。ベルトーネのマルチェロ・ガンディーニの手になる、スタイリッシュなリヤゲート付きボディに一新した。

 この間、BMC改めBLMC(ブリティッシュ・レイランド)はイノチェンティとの関係を強め、ついには傘下に収める。ベルトーネ・デザインの新型は英国側の意向でもあった。ところがそのBLMCが経営危機になり、イノチェンティはデ・トマソの手に。ここで生まれたのがクーパーの後継といえるミニ・デ・トマソで、途中のモデルチェンジでエンジンをダイハツの3気筒ターボに積み替え、ラバーコーンを使っていたサスペンションも一般的なコイルスプリングになった。

 しかし、1990年にはフィアットの手に渡ることになり、まもなくブランドそのものが終わりを迎える。ただし、1970年代に一度生産を終えていたスクーターのランブレッタは近年復活。日本にも輸入されている。


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森口将之 MORIGUCHI MASAYUKI

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