超頑張ってクルマは買えても流石に手が出ません! レクサスもランボもAMGもアストンも手がける「豪華ヨット」の世界 (1/2ページ)

この記事をまとめると

■高級車ブランドがヨット市場へ参入を拡大している

■とくにランボルギーニは半世紀以上の歴史をもつ

■ブランド体験を海上へ広げ顧客満足を高める狙いがある

新たな戦いは海上へ

 スーパースポーツカーやプレミアムカーを生産する高級車ブランドが、そのバリューはもちろんのことカスタマーの満足度をさらに高めるために、自動車以外の世界へと参入するのは、もはや珍しいことではなくなったようだ。

 そのなかでも近年とくに話題になることが多いのが、高級でかつ高性能な大型プレジャーボート(スーパーヨット、あるいはラグジュアリーヨットと呼ばれることも多い)の世界。陸上で究極的なパフォーマンスと最上級のラグジュアリーを提供することに成功したブランドが、それに続いて水上を目指したのは、それぞれのカスタマーが共通してもつプロフィールを考えれば当然の成り行きだったのだろう。

 スーパースポーツカー・メーカーのなかで、かつてもっとも深くボートの世界に関係していたのはランボルギーニだった。その歴史は同社が創設されてわずか5年後の1968年にまでさかのぼる。

 V型12気筒エンジンをミッドシップするP400ミウラで、スーパースポーツカーというジャンルを新たに開拓したフェルッチオ・ランボルギーニ(とはいえそれは、彼が最初から全面的に支持したモデルではなかったのだが)は、次なる野望として史上最速のボートを製作することを決断。同じイタリアのボートメーカーであるリーヴァによって開発されたボディに、ランボルギーニ製のV型12気筒エンジンを2基搭載することで、見事にその目的を達成してみせたのだ。

 さらにその10年後にはモトーリ・マリーニ・ランボルギーニ社を設立。1980年代を迎えてパワーボートレースの人気が高まると、まさにそれに呼応するかのように、ランボルギーニ製エンジンを搭載するパワーボートは圧倒的な強さを発揮するようになり、結果として1984年から2007年までの間に、じつに10回もの世界タイトルを獲得するに至ったのである。

 このように、ランボルギーニのパワーボートは、まさにブランドの広告塔としての役割も果たしたわけだが、残念ながら当時のランボルギーニには自動車の世界でそれに応えるだけの経済的な余裕はなかった。

 彼らがふたたび水上の世界に戻ってきたのは2020年、イタリアン・シー・グループに属するテクノマールとのコラボレーションで完成された「テクノマール・フォー・ランボルギーニ 63」でのこと。ちなみにこのモデルは、ランボルギーニの創立年である1963年にちなんで63艇のみが建造されるとされ、またそのデザインは前年にデビューしたフューオフモデル、「シアン・FKP37」のそれにインスピレーションを得たものと説明されていた。

 シアンとはランボルギーニが本社を置くサンタアガタ・ボロネーゼの方言で「稲妻」を、またFKP37とはVWグループの総裁であったフェルディナンド・カール・ピエヒ氏とその生誕年を意味している。エンジンがドイツのMAN製であったのは、ランボルギーニのファンにはやや複雑な思いだったかもしれないが。


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山崎元裕 YAMAZAKI MOTOHIRO

AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員 /WCOTY(世界カーオブザイヤー)選考委員/ボッシュ・CDR(クラッシュ・データー・リトリーバル)

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