「こんな便利装備なんでやめるんだ!」本田宗一郎がガチギレ!? 初代アコード開発陣が語る“オヤジ”の素顔 (2/2ページ)

中級車の常識を覆した3代目の大胆チャレンジ

 横山さんが当初からLPLを務めた3代目アコードは、初代のコンセプトを忠実に守った2代目からすべてを一新。中級車の常識をことごとく打ち破るその内容は、当時のクルマ好きを大いに驚かせた。

「リトラクタブルヘッドライトをセダンに使うことには、社内でいろいろ意見がありました。採用の後押しになったのはアメリカンホンダ(通称:アメホン)。アメホンも違いがあるクルマが欲しかった。でも、ヨーロッパは許してくれなかった。200km/hではパッシングが遅くなるからセダンは異形ヘッドライトにしてくれと」(横山さん)

 新しい3ドアを提案したエアロデッキも画期的だった。

「アメリカもエアロデッキを導入すべきだって乗り込んだけど、向こうは『横さんは市場を知らない。(従来のような)3ドアが必要だ』と。急遽デザイナーを送って3ドアをつくったけど、あれくらいデカい3ドアは結局売れませんでした。エアロデッキっていう名前だからセダンより空力よくなきゃいけないけど、逆に(笑)」(横山さん)

 そして、FF世界初の4輪ダブルウィッシュボーンサス。

「それも本当に必要なのか、さんざん議論になった。要はコストが大事か、イメージが大事か。その頃ホンダは(復帰した)F1も勝って。私はコストは多少どうでもいいと」(横山さん)

「じつはストラットも検討していました。コンパクトに収まる。でも、価値の判断ですから。バリューフォーマネー。LPLが采配でクルマをまとめる醍醐味です」(水戸部さん)

「オヤジさん、4輪ダブルウイッシュボーンです」と言ったら、『おお、そうか!』と」(横山さん)

ボディ拡大は市場の要求

 北米で地位を確立したアコードは、フルモデルチェンジのたびに現地のニーズに合わせボディサイズが拡大された。

 4代目は保守的なイメージの外観ながらも、5ナンバーフルサイズに成長。5代目ではついに3ナンバー専用ボディとなり、寸法の余裕を活かしたエモーショナル・エアロフォルムに変身を遂げた。

 6代目は世界共通フレキシブルプラットフォームによって地域ニーズの多様化に対応し、日本向けセダンは5ナンバーサイズに回帰。しかし、7代目では欧州向けと統合され、セダンは5ナンバーの全長を守りながら3ナンバーワイドボディが採用された。

 そして、7代目の終盤に3.5リッターV6搭載の5代目インスパイアとして日本に導入されたのが、じつはマギー審司の耳のごとく一気に”でっかくなっちゃった”8代目の北米アコードだった。

「需要があるところで生産すると決めた限り、アメリカや中国ではあのサイズになっちゃう。いま、日本の若い人はSUVか、クルマに興味ない人かに分かれちゃってるけど、アメリカには興味を持ってくれる人がまだたくさんいる。そういう意味でいまのアコードの姿になったっていうのは、これはもうやむをえない。マーケットの要求がそうなっている」(横山さん)

 日本向けアコードはHVシステム搭載の9代目で、ついに北米向けと統合。日本から見ればアコードはこれ以降、タガが外れたように大型化していく。

アコードを支持してくれた知的エリートたち

「3代目アコードを(北米に)出すときフォードがトーラスをぶつけてきた。資料を持って帰ってきて、絶対太刀打ちできないと大騒ぎになった。しかもプラザ合意と重なって。だけど、アコードは違いのあるデザインで、コンパクトで、日本車でいいクルマだったので結局はプラザ合意を跳ね返した。必ずしも大きいことがいいとは、アメリカ人もならなかった」(横山さん)

 そういえば、その頃の日本を思い返してみると、シビック、アコード、プレリュード、シティといった当時のホンダ車は、若者に人気があるだけでなく、乗っている人が知的でハイセンスに見えたりしたものだ。

「当時、アコードはヤッピーと言われていた、まさに知的エリートの人たちが支持してくれました。ところが、彼らがだんだん年をとって、クルマも同じように年をとってきた。そこへ入ってきたのが、たぶんトヨタのプリウスなんです。プリウスがカリフォルニアを中心に先進志向のマーケットを取っていった」(水戸部さん)

 しかし、時代は大きく変化している。SUVの台頭とセダンの退潮は世界的な市場動向。日本ではボディサイズ云々よりも、ここ数年でセダンタイプが絶滅寸前になっている。

「できればね、アコードの名前を日本に残してもらいたい。ちゃんと売れるクルマとしてね。50年続くブランドの力をもう一度うまく使う手はないのかなと、そういう感じはしますね」(横山さん)

 先を見通すことがかつてなく困難な時代。だが、現状が変わらず未来永劫続くことはない。

 横山さんが好きな本田宗一郎語録がある。

「一度真似をすると、永久に真似をしていくのである」「アイデアは苦しんでいる人のみに与えられている特典」「技術はあくまでも末端のこと、思想生誕50周年 記念企画違いのあるクルマ Accordこそが技術を生む母体」「需要がそこにあるのではない。我々が需要を作り出すのだ」などなど。それは不変の真理だ。

 横山さんたちのなかにはいまも宗一郎が生きている。ホンダはいまこそその情熱と思想を思い出すときかもしれない。

※本記事は雑誌「CARトップ2026年9月号」の記事を再構成して掲載しています


この記事の画像ギャラリー

新着情報