「スバルのマークを外そう」初代レガシィ開発陣が抱えていた“異常な危機感”と大ヒット車誕生の裏側 (2/2ページ)

「もっとこうすればいい」を見直してSTIで具現化

 4代目で全車3ナンバー化。それを見届けた辰己さんは、2006年に活動の場をSTIへと移す。

「スバルを離れてから、こうしたらいいのにっていうところを直していったのがコンプリートカーです。3ナンバー化でゆったりしたのはいいけど、大味になったと感じたので、もうちょっと締まりのあるハンドリングに、とか”ts”はけっこう苦労したな。なかなかシャッキリと仕上がらなくてね。だからと言って、足が硬ければいいっていうわけでもない。本当にいいクルマってなんだろう? って追求すると、足が硬い柔らかいだけで決まるもんじゃないでしょ。そこを表現したくて作ったのが、フレキシブルタワーバーやフレキシブルドロースティフナーだったんです。ワダチや横風に足を取られないとか、実車開発で織り込むのが難しかったことを、STIでのパーツ開発で少しは表現できたんじゃないかな」

 レガシィは、日本に本格ステーションワゴンのブームを巻き起こしたが、ツーリングワゴンは5代目で終了。セダンも6代目で姿を消し、7代目はクロスオーバータイプのアウトバックのみとなる。

「ツーリングワゴンがなくなったのは時代の流れかな。もうスバルを離れていたのでしかたないですね。アウトバックはアメリカ市場を見据えたモデルでしたが、予想外に売れました。もう少し足がシャキッとしてたらいいんだけど、コンセプトはよかったですね」

レガシィの名が消えても遺したものは受け継がれる

 辰己さんにとって、レガシィとはどんな存在だったのだろうか。

「スバルにとって大きなターニングポイントになりましたね。個人的にはエネルギーを最大限注ぎ込めて楽しかったですよ。レオーネは、アメリカで”アグリー・スバル”なんて呼ばれ、雪道なんかを安全に走れる道具。一人前の乗用車として見られていなかった。でも我々は、気持ちいい走りも楽しめるクルマを作りたくて、その狙いが最初にハマったのがレガシィだったわけです」

 一時代を築き、現場を離れた辰己さんには、電動化時代のクルマ作りをどう見えているのだろう?

「個性を出していくのは難しいでしょうね。重いバッテリーを保持するためのフロア構造は、曲げに強くて、捻れが適度にあって、重心が低くて、理想的な剛性を持つシャシーが偶然できちゃったので、EVに乗るとどれもほぼいいんですよ。ただ、そういうことを解き明かして、どこをどうすればさらによくなるのか追求していくのがクルマ作りの面白さ。現役世代には、そういうことを考えながら、レガシィに代わる新世代のスバル車を生み出してほしいですね」

 スバルのクルマ作りが新たなステージへと進む起発点となり、後に続くモデルにも大きな影響を与えたレガシィ。存在自体が日本市場から消えても、刻んできた歴史は、まさにその名のとおり、スバルのレガシィ=遺産であり続けるに違いない。

※本記事は雑誌「CARトップ2025年5月号」の記事を再構成して掲載しています


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