この記事をまとめると
■フォルクスワーゲンはこれまでにさまざまな軍用車を製作してきた
■なかでもシングは10万台弱を販売するヒットモデルとなった
■軍用車で培われたさまざまな技術は市販車にも活かされた
のちのドイツの国民車を軍用車に転用
第二次大戦の米軍でジープが大活躍したこと、クルマ好きならよくご存じかと。じつはジープという車両のアイディアは、初代フォルクスワーゲンからいただいたという説もあるようです。なにしろ、当時のドイツ軍は、フォルクスワーゲンをベースとした軍用車、特殊車両を30種以上も開発、戦場へと送り出していたのです。荒地どころか水のなかまで走る軍用車に、米軍が注目したのは当然だったかと。そんなアイディアのもとになったかもしれないモデルや、主な派生モデルをご紹介しましょう。
クーベルワーゲン
初代フォルクスワーゲン、いわゆるビートルがヒトラーの命でポルシェ博士によって開発されたことはご承知のとおり。大人4人が余裕で乗れる質実剛健でいて安価なクルマだったはずですが、国民の手に渡る前に軍用車のほうが先に生産され始めています。いうまでもなく、第二次世界大戦に向けた車両で、「荒地での走破性」や「オープントップ」「生産性の高さ」といった諸条件が課されたのでした。
で、1939年に完成したのがタイプ82、クーベルワーゲンと呼ばれる軍用車両。エンジンは空冷フラット4で排気量985cc、出力23.5馬力と排気量1131cc、出力25馬力の2タイプが用意されましたが、950kg程度の車重には十分なもので、985ccでも最高速は85km/hほどまで伸びたとされています。
フォルクスワーゲン・クーベルワーゲンのフロントスタイリング画像はこちら
また、リヤアクスルの位置を上げること(リダクションハブの採用)で最低地上高を上げ、不整地での走破性が高められたのも軍用車らしいポイント。なお、駆動輪は後2輪のみながら、ポルシェ博士の「RRはトラクションに優れる」というモットーどおり、不足のない駆動をしてみせたとか。
フォルクスワーゲン・クーベルワーゲンのリヤスタイリング画像はこちら
なお、1941年には全輪駆動モデル、タイプ87がポルシェ本社によって6台のみ製造されていますが、これは次の水陸両用車シュビムワーゲンへと発展していきます。ちなみに、試作6台に用いられた1086ccのフラット4は、のちの356に搭載されたものと同系統だとか。さすが、ポルシェ博士は戦時中でも目ざといものです。
シュビムワーゲン
ビートル派生モデルのなかでもとりわけ異色のモデルとなっているのが、シュビムワーゲンことタイプ128に違いありません。タイプ82、クーベルワーゲンをベースに全輪駆動化し、車体後部に起倒式3枚プロペラを装備、車体底面を船底かのように改造された水陸両用車です。車名のシュビムはドイツ語で泳ぐの意味で、文字どおり泳げるクルマとなったわけです。
フォルクスワーゲン・シュビムワーゲンのフロントスタイリング画像はこちら
1940年にドイツ軍がポーランドに侵攻した際、渡河性能が求められての開発だったとされていますが、実際には物資不足で既定の生産台数に届かなかったばかりか、水上でフロートの役目も負うべきバルーンタイヤも足りず、クーベルワーゲン用のタイヤが流用されたなど、見た目のインパクトほどには活躍できなかった模様。
フォルクスワーゲン・シュビムワーゲンのリヤスタイリング画像はこちら
なお、開発途中では水上の安定性があまりに悪く、テストしていた兵士が犠牲になったことまであったとか。このため、クーベルワーゲンよりも全長、全幅ともに縮小され、クルマというよりボートのようなプロポーションへと改造されました。水上での最高速は10km/hとのことですが、流れの速い河川では前進するより流されることのほうが多かったと証言する兵士もいるそうです。