昭和のモーレツ営業マンは姿を消した! 令和の新車営業マンは出世よりも稼ぎよりも「大手の安定」重視の傾向強し (1/2ページ)

この記事をまとめると

■昭和の新車セールスマンは歩合給の割合が多かった

■最近では稼ぎより安定を求める労働者が多い

■休みも取りやすくなっておりかつてのような血気は感じなくなってきた

昭和の営業マンは血気盛んだった

 かつて新車のセールスマンの給与体系は、圧倒的に歩合比率が高かった(セールスマージンが多かった)。1960年代後半あたりからマイカーブームが起こっても、今のような立派なショールームはなく、それこそー軒一軒をアポイントもなく飛び込み、「新車はどうですか」と売り歩いていた時代である。

 メーカー系新車ディーラーも当時はまだ組織として脆弱であり、セールスマンの多くは異業種の飛び込み営業などで名を馳せた経験者を、即戦力として採用していた。当時は新車販売自体が新しいビジネスだったので、人材を集めるために歩合給も好条件を提示していたようで、その条件を目当てに異業種から新車販売の世界に飛び込む人も多かった。

「同僚とはいえ、まわりはみんな敵と思え」などと昭和のころにはいわれており、一匹狼状態で新車を販売し、会社も実績を挙げればそれでいいという雰囲気であったのだ。そのため、下取り車の横流し(今でもまだあるが)などをはじめ、かなり”やんちゃ”が目立った商売をみんなでやっていたようである。

 飛び込み主体の営業方法は、1980年代後半、つまりバブル経済が終焉を迎えるあたりまで続いており、歩合給が幅を利かす給与体系も維持されていた。バブル経済後期には4年制大学の卒業予定者を一括採用するようにもなっており、次第にアポなしの飛び込み営業から、店頭対応したお客を自宅訪問などで後追いする販売方法となり、今では店頭販売(カウンターセールス)が主流となっている。

 歩合給が高かったころのセールスマンのなかには、より実入りのいいところを求めて、短期間で転職を繰り返す人が目立っていた。当時は個人情報保護法などもなかったので、自分で作成した顧客名簿をもってディーラーを渡り歩き、「今度はこっちに転職しました」と以前の勤務先で販売した顧客に、新たな転職先のクルマを販売していたのである。転職先も、その顧客名簿があることを前提に給与(歩合給)を用意していた。


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小林敦志 ATSUSHI KOBAYASHI

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渡 哲也(団長)、石原裕次郎(課長) ※故人となりますがいまも大ファンです(西部警察の聖地巡りもひとりで楽しんでおります)

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