日本から世界に挑んだF1チャレンジャー

日本のF1文化を語り継ぐレジェンドマシンたち

 2015年12月26日(土)から、2016年1月3日まで、冬休みの特集として「モータースポーツ企画」をお届けします。F1からWRCラリー車まで、また年代も問うことなく幅広くお伝えしたい。
初回となる今回は、創世記のF1マシンたちです。

 まだ2輪メーカーに過ぎなかったホンダが、4輪製品を生み出す前に、鈴鹿サーキットを創りF1GP挑戦を決断した創業社長、本田宗一郎さんの武勇伝はよく知られるところだが、ホンダのF1活動…その後何度か休止している。ここでは第一期活動ということになるが、以降も日本からの、F1GPへの挑戦は繰り返されてきた。1976年と翌77年に富士で開催された日本GPには、コジマ・エンジニアリングで制作されたKE007/009も参戦しているが、ここでは海外に出て行った国産F1にまつわる6つのケースを紹介することにしよう。

★日本におけるF1の“事始め”★
1965 Honda RA272

 F1GPが国内ではまだ、ごく一部のマニアにしか知られていなかった1960年代初めに、プロジェクトが始動したホンダのF1。当初はエンジンコンストラクターとして参戦の予定だったが、63年秋にロータスの総帥、コリン・チャップマン自ら来日、エンジン使用を申し入れた。ところが翌64年の開幕直前に、チャップマンから断りの連絡が入り、急きょシャシーまでを自製半年後のドイツGPで無事デビューを果たしている。翌65年、1.5リッターでのラストレースとなった最終戦のメキシコGPでリッチー・ギンサーが待望の初優勝をホンダにもたらした。写真の個体はホンダ・コレクションホールが収蔵。常設展示に含まれているが、15年8月の企画展で撮影。ph020101_1965_Honda RA272_IMG_0557

★プライベートが手作りで参戦できた好例★
1975 Maki 002C(F101C)・Ford-Cosworth DFV

 今やF1GPは、自動車メーカーのバックアップなしには参戦することすらできず、また風洞実験施設やカーボンを成型するオートクレーブなど最新設備が必須になっている。しかし今から40年ほど前には事情が違っていた。市販されているコスワースDFVエンジンとヒューランドのミッションを買って来れば、それ以外のパーツは手作りでF1GPマシンを制作して実戦に参加することができたのだ。その好例が74年にデビューを果たしたマキF1。毀誉褒貶半ばするが、これを制作したスタッフたちの情熱と力量が、評価すべきレベルにあったのは事実だ。写真の個体はスパ-フランコスルシャンのサーキット博物館に展示されている。002Cと表記にあるがF101Cだ。

ph020201_1975_Maki 002C(F101C)・Ford-Cosworth DFV_IMG_7691ph020202_1975_Maki 002C(F101C)・Ford-Cosworth DFV_IMG_7692

★5バルブの威力を確認するためにF1GPに!★
1989 Zakspeed 891・Yamaha OX88 & 1992 Jordan 192・Yamaha OX99

 先駆者であるホンダが、第二期F1活動で我が世の春を謳歌していた頃、日本から第二のF1GP用エンジンが登場した。2輪メーカーのヤマハが国内のF2やF3000用に、気筒当たり5バルブのOX66~OX77エンジンを開発供給していたが、1988年から全日本F3000では5バルブが禁止されることになり、1年の開発期間を経て5バルブV8のOX88を完成、89年にザクスピードに供給する形でF1デビューを果たしている。このときは苦戦が続き、翌90年に一時撤退したが91年に復帰。ジョーダンにV12のOX99を供給、初入賞を遂げている。ザクスピードはホッケンハイム・サーキット博物館、ジョーダンは磐田のヤマハコミュニケーションプラザで撮影。ph020301_1989_Zakspeed 891・Yamaha OX88_IMG_2202

1992 Jordan 192・Yamaha O
1992 Jordan 192・Yamaha O

★ホンダの後を受けてメンテナンスから開発まで★
1996 Ligier JS43・Mugen-Honda MF301HA & 1998 Jordan 198・Mugen-Honda MF301HC

 1980年代にもV8のF1用エンジンを研究、試作していたが92年に、前年までホンダがティレルに供給していたV10エンジンの開発を引き継ぐ格好でF1デビュー。ホンダが第二期F1を休止した93年以降も活動を継続。94年には新設計のV10エンジン、MF351HDを開発してロータスに供給。排気量が3L以下に制限された95年には、やはり新設計のV10エンジン、MF301Hを開発して供給し、翌96年のモナコGPで初優勝。98年からはジョーダンにMF301Hを供給しベルギーGPで2勝目を飾りコンストラクター4位、翌99年は2勝して3位に。リジェはコレクションホールで14年8月に撮影。ジョーダンは15年に鈴鹿のファン感謝デーで撮影。ph020401_1996_Ligier JS43・Mugen-Honda MF301HA_IMG_8633

★亜久里が見せてくれた束の間の夢★
2007 Super Aguri SA07・Honda

 元F1ドライバーの鈴木亜久里がホンダの支援を得、2005年に立ち上げたチームがスーパーアグリF1。マキの頃のようにクルマを手作りすることは叶わず、初作のSA05はアロウズの4年落ちがベースで、以後はホンダのマシンを“参考”にして開発したり、と苦労が絶えなかった。それでも07年シーズンに投入したSA07は好調で、佐藤琢磨がシーズン序盤に2度の入賞を飾り、この時点では本家たるホンダを上回りトヨタにも匹敵するポイントを稼いでいた。ただし翌08年のシーズン途中に参戦休止に追い込まれ、ファンが亜久里と共有していた夢は、残念なことに束の間に覚めてしまった。写真の個体は15年に鈴鹿のファン感謝デーで撮影したもの。ph020501_2007_Super Aguri SA07_IMG_5170

★世界一のメーカーも苦労したモータースポーツ最高峰★
2009 Toyota TF109

 世界一の自動車メーカーとなったトヨタもF1GPにチャレンジしている。かつてWRCにトヨタのワークスとして参戦していたTTEをベースに2000年に発足したTMG(トヨタ・モータースポーツ会社)を本拠に、トヨタの東富士研究所と連携を取りながら02年にデビューを果たしている。当初は苦戦続きで開発スタッフも次々と入れ替わるありさまだったが04年から参画したマイク・ガスコインの手掛けたマシンが好調で05年には初の表彰台を獲得した。09年には小林可夢偉が6位入賞を果たしたものの、直後にその年限りでの撤退が発表された。TF109は国内でも様々なイベントに引っ張りだことなっているが写真はオランダの国立自動車博物館で撮影。ph020601_2009_Toyota TF109 Formula 1 Racing-car_IMG_2860ph020602_2009_Toyota TF109 Formula 1 Racing-car_IMG_2859


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