★モノコックに続き2つ目のF1基準を創設★
1968 Lotus 49 Ford Cosworth DFV
稀有の天才デザイナー、コリン・チャップマンが率いるロータスは、独自のアイデアでF1GPに、幾つもの新たなスタンダードを創ってきた。1962年のロータス25で採用されたモノコック・フレームに始まり70年代後半に登場したベンチュリーカーなどは今もF1GPにおけるスタンダードとなっている。そのロータスは67年シーズンにはフォードのバックアップを受けコスワースで製作した3リッターV8のDFVエンジンを搭載。エンジン・ブロックをモノコックにリジッドマウントし、シャシーの構造部材として使用するアイデアを提案している。そしてそれは今でも、F1マシンに限らず、広くレーシングマシン全般での、シャシー基本設計の公理となっている。写真は2シーズン目となった68年仕様のロータス49で、スパ-フランコルシャンのサーキット博物館で撮影。
★完璧主義の名門チームも創成期には家族的だった★
1968 Mc Laren M7 A2・Ford Formule
現在は生みの苦しみを味わっているが、1980年代後半から90年序盤にはホンダとともに栄光をほしいままにしてきたマクラーレン。だがニュージーランド出身のレーシングドライバー、ブルース・マクラーレンが60年代に創設した創成期には家族的な小世帯のレーシングチームだった。その一方でF1GPだけでなくCan-Amシリーズやインディカー・シリーズでも活躍し、世界三大レースとされるモナコGPとインディ500マイル、そしてル・マン24時間のすべてを制した唯一のコンストラクターとしても知られている。F1GPに関しては68年からDFVを手に、ロビン・ハードが手掛けたM7が好調で、シーズン2勝を挙げ、コンストラクター3位に躍進した。写真はフランスで最古の自動車博物館、と言われるリヨン郊外のロシュタイエ城自動車博物館で2012年に撮影。
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★自製エンジンでは苦戦もDFVではタイトル獲得★
1969 Matra MS80・Ford Cosworth Formule 1
以前に博物館訪問でも紹介したが、
マトラもDFVユーザーだった。マトラ自体が自動車メーカーで、自ら3L V12のレーシングエンジンを開発し、
スポーツカー用としてのみならず、F1GP用としても使用。
1968年の初参戦ではワークスチームのマトラ・スポールが、自製のエンジンを搭載したMS11を投入していた。
ただし同時に、サテライトチーム…後のティレルはDFVを搭載したMS10を使用。
翌69年シーズンはワークスがスポーツカーに専念。F1GPはサテライトに託され、マトラ・
フォードを駆るジャッキー・スチュワートが初戴冠、DFVは2年連続でF1GPを制したのだ。
同年末にマトラはクライスラー・フランスと提携、以後はDFVを使用できず、ティレルは独立した。
写真はフランス中部、ロモランタン-ランテネのマトラ自動車博物館で2012年に撮影。
★名手、サーティースがコンストラクターに転身★
1974 Surtees TS16 Ford-Cosworth DFV
ジョン・
サーティースといえばホンダF1でイタリアGPに勝ったドライバ
ーとして馴染みが深いが、2輪の世界GPで7度、
そしてF1GPでもチャンピオンに輝き、これまでで唯一、2輪と4輪の両方で世界王者になった名手としても知られている。
そんなサーティースもDFVを使ってF1マシンコンストラクターに名乗りを挙げている
。1964年にフェラーリでチャンピオンとなった後、クーパー、ホンダ、
BRMを経て70年に自らのチームを結成。同年のイギリスGPで自らの名を冠したニューマシンをデビューさ
せている。DFVがスタンダードとなってはいたが、新規参入チーム、
それも決して活動資金が潤沢でなかった彼らが手に入れることができたのは戦闘力で他に後れを取るものだ
ったし、またシャシーのポテンシャルでも及ばず、
2回の表彰台と3回のベストラップを残したのみで78年にはチームも消滅した。写真はスパ-
フランコルシャンのサーキット博物館で撮影。

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