市販車のレプリカカラーも多数出現! WRCで活躍したニッポンの平成名車5選 (2/2ページ)

レプリカも街で見かけたスポンサーカラーが印象的なインプレッサ

3)スバル・インプレッサWRX(GC8)

 三菱のランエボの好敵手として、WRCで一時代築いたのは、ブルーメタリックの「555」カラーで知られるスバルのインプレッサ。WRCには、レガシィに代わって1993年に初参戦。そのデビューレースで2位になり、ポテンシャルの高さを証明した。

 1994年に初優勝し、1995年は8戦5勝の好成績で、ドライバーズタイトル(コリン・マクレー)とマニファクチャラーズタイトルのダブルタイトルをゲット。マニファクチャラーズタイトルは、1995年、1996年、1997年と3連覇を成し遂げている(1997年は2ドアモデル)。

 インプレッサの強みは、水平対向エンジンとシンメトリーレイアウトのAWD。スバルの技術と、チームを率いたプロドライブのデイビット・リチャーズの手腕、そしてコリン・マクレーのドライビングが見事に噛みあって、90年代のWRCを大いに盛り上げてくれた。

 そのコリン・マクレーが、2007年にヘリコプター事故で亡くなったとき、彼の死を悼むパレードにインプレッサが1100台も集合。スバルファンとマクレーの絆の強さ証明した。

4)ダイハツ シャレード(G100系)

 あまり知られていないかもしれないが、ダイハツも1982年からサファリラリーに参戦している。とくにシャレードで出場したグループA時代は、クラスが上の2リッターターボの4WD軍団を相手に大健闘。

 たびたび上位に食い込み、とくに1993年のサファリラリーでは、総合順位でシャレードが5~7位に入賞。1~4位を独占したトヨタ・セリカGT-FOURには及ばなかったものの、他の2リッターターボ4WDの強豪ワークスチームを押さえて、歴史に残る快挙を達成。

 小さなクルマで、クラスが上のクルマに勝つ“ジャイアント・キラー”と呼ばれ、ラリー界では高く評価されていた一台。

番外編)日産パルサーGTI-R

 活躍したとは言い難いが、日産の代表車、パルサーGTI-Rにも触れておこう。

 日産は1950年代から海外ラリーにチャレンジしていて、1970年に570型ブルーバードでサファリラリーを初制覇。その後フェアレディ240Zで黄金時代を築いたり、バイオレット(PA10)で、サファリ史上初の4年連続総合優勝(1979年~1982年)し、「ラリーの日産」と呼ばれていた。

 平成に入り、その「ラリーの日産」の復権をかけて開発されたのが、4代目パルサー=N14系をベースにしたパルサーGTI-R。

 シルビアの2リッターエンジン=SR20に、大型タービンとインタークーラー&4連スロットル、4WDシステムのアテーサ、etc.を詰め込んで、コンパクトボディ+4WDターボにしたのはよかったが、重量バランスが悪く、熱がこもり、タイヤサイズも容量不足で、WRCには1991年にデビューしたものの、1992年のスウェディッシュラリーの3位が最高位で、参戦からわずか2年で、WRCから撤退……。

 ただ、グループNカテゴリーで参戦したパルサーGTI-Rは、1992年に一応チャンピオンになっている。


藤田竜太 FUJITA RYUTA

モータリングライター

愛車
日産スカイラインGT-R(R32)/ユーノス・ロードスター(NA6)
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