経営難が囁かれる日産! ゴーン氏や水野氏がいないのにGT-Rを売り続ける理由とは (1/2ページ)

長期的な展望で開発されているため実力はいまだ世界トップ

 2020年モデルまで進化した日産GT-Rのデビューは2007年。干支で一周するほどの時間が経っている。日進月歩で技術が進むスーパースポーツの世界において、これほど長い間最前線で活躍できるパフォーマンスを有しているのは、その基本設計で与えた潜在能力と、それを引き出し続けている開発陣の努力あってのものだ。

さて、現行GT-Rの誕生(復活)にあたって、二人のキーマンを忘れることはできない。一人は日産を復活させたのみならず、GT-Rまで蘇らせたカルロス・ゴーン。もう一人がGT-Rの開発責任者を務めた水野和敏である。

コストカッターとして名を馳せたゴーンは、しかし日産の象徴としてGT-Rを復活させると判断した。それまでの「スカイラインGT-R」が実質的に国内専用モデルだったのに対して、グローバルモデルとして位置づけることを決定したのだ。そして、実際のプロジェクトでは水野による試みが功を奏し、非常にオリジナリティあふれるスーパースポーツに仕上がったのはご存じのとおりだ(敬称略)。

 日産GT-Rはスカイラインの発展形としてのGT-Rではなく、車種体系として独立した。さらに、メカニズムとしても完全に独自となった。とくにリヤにトランスミッションを置いたトランスアクスルの4WDというユニークなレイアウトを採用したのはGT-Rというブランドを高めるのにも寄与した。

 実際、フロントエンジンからリヤに置かれたトランスミッションへつながるプロペラシャフト、トランスミッションから前輪を駆動するためのプロペラシャフトと2本のプロペラシャフトが並ぶパワートレインは唯一無二といえるもので、いまだスーパースポーツの世界ではフォロワーは生まれていない。デビューから12年を経てもメカニズムとしての鮮度は保たれているといえる。

 そのエンジンにしても3.8リッターV6ツインターボという方式は、デビュー当時としてはスーパースポーツとしては物足りないという声もあった。当時は8気筒以上であることがスーパーカーの必須条件とも思えたからだ。しかし、ダウンサイジングターボのトレンドはV6ツインターボこそ先進のパワートレインというイメージを生み出した。そう考えると初期のコンセプトから未来をしっかりと見通していたといえる。


山本晋也 SHINYA YAMAMOTO

自動車コラムニスト

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