名車揃いだったのになぜ? スバルが軽自動車の自社開発をやめたワケ (2/2ページ)

軽自動車撤退で胸をなで下ろした関係者もいた

 たとえば、いまも多くのスバルファンから深く愛され続けている名車R1も、見れば見るほど「よくこんな贅沢な内容の商品企画が実現したものだ」と驚愕させられるポイントだらけ。超ハイトワゴンがブレイクした時代に、それとは真逆に居住空間よりもデザイン性やボディ剛性を優先。ルーフにFRPを採用して軽量化と低重心化をはかったスバル360の設計思想を習って、テールゲートは軽い樹脂製を採用した。

 上質感向上のために、インシュレーターや遮音材、制振材を当時のインプレッサ並みかそれ以上に惜しみなく増量。内装にはアルカンターラを張り巡らせ、ドアシールを二重化。さらに液封エンジンマウントを採用したり、15インチのハイグリップタイヤ・ポテンザを履かせる前提の高剛性シャシーにしたりと、軽自動車としてはおよそありえないモノばかりで構成された奇跡のクルマだ。

 R1は、軽自動車市場の動向よりも、志の高いエンジニアたちが「自分たちが作りたいモノ」を最優先としたクルマ作りの思想から生まれた最後の軽自動車といえるだろう。しかし、そういったクルマづくりは生産効率や利益率は悪くなり、メーカーとしては自らを苦しめる要因にもなってしまう。しかも、残念ながら軽自動車のマーケットはR1のような素晴らしいクルマを作ってもほとんど受け入れられないので、大赤字を垂れ流すことになってしまうのだ。

 さらに思い出せば、90年代に一斉を風靡したビストロも、ベースとなるヴィヴィオは「WRCで戦える」ほどの基本設計が与えられたなど生産コストの高いクルマだったので、社内の一部では「こんな儲からないのによく売れるクルマはやめてくれ!」との悲痛な叫びが聞こえてくることが多かったと言われる。ファンの心情としては、いまだに自社開発からの撤退を惜しんでしまうものだが、「ようやく軽を辞めることができた!」とホッと胸をなでおろした関係者も少なくなかったというのも頷けてしまう。

 そんな残念な軽自動車市場に力を注ぐより、お金と人材をグローバルモデルやアイサイトなど新世代技術の開発に回すほうが、スバルがスバルらしく生き残るための近道だったのだ。結果として、当時の判断がスバルに空前の好業績をもたらす大きな要因のひとつとなった事実を見ても、軽自動車自社生産撤退の判断が正しかったことを証明している。

 といいながらも、ファン心理としては「いつかスバルらしいマイクロカーが生まれて欲しい!」との願望は捨てきれないし、その可能性が完全に絶たれたわけではないはずなので、筆者は密かにそんな日が来るのを待っている。夢が叶うまで、中古のR1やサンバー、ヴィヴィオなどを買って大事にレストアし続けるのも楽しいものだ。スバルオリジナルの軽自動車は大事に守っていきたい。


マリオ高野 MARIO TAKANO

SUBARU BRZ GT300公式応援団長(2013年~)

愛車
初代インプレッサWRX(新車から28年目)/先代インプレッサG4 1.6i 5速MT(新車から8年目)/新型BRZ Rグレード 6速MT
趣味
茶道(裏千家)、熱帯魚飼育(キャリア40年)、筋トレ(デッドリフトMAX200kg)
好きな有名人
長渕 剛 、清原和博

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