日本初の「公道レース」はいかにして実現できたのか? レースの裏側で見たものとは (2/2ページ)

「新しい未来へ向けたベースは作れた」

「一番大切なのは、知らないことに出会えたということだと思います。モータースポーツを知らない人にも、今回は大勢見ていただいた。マーシャルも、ボランティアも、沿道のおじいちゃんやおばあちゃんも、そして小学生も、みなさん笑顔で手を振ってくれていました」

 上口代表はドライバーのひとりとしても今回のレースに参戦しており、バイザー越しに沿道の光景を目にした。

「ゴールした時、涙が止まりませんでした。何かを成し遂げた時にしか感じられないモノなんだと思います。触れたことのないことに触れるというワクワク感が、みなさんにとって大切なのではないかと思います」

 とはいえ、”感動した”と言うだけのためにレースを開催したわけではない。今後、ビジネスにしていかねばならないのだ。これについて上口代表は次のように構想を語る。

「今回成功したことで、モータースポーツを市街地でできるという文化的な素地ができたのではないかと思います。これが重要です。新しい未来へ向けたベースを作れた。新たな技術の展示会をやったとしても、そもそも興味を持っている人しか来ません。でもここは、モータースポーツに興味のない人ばかりが集まったんですよ。そこを、電気自動車とか自動運転といった技術のマーケティングの場として使っていただく。小さくとも、走る実験室になるんです」

「そして今回は、江津という街の名前を日本中に知らせることができた。当初は、江津と読める人が少なかったので、あえて”GOTSU”とローマ字表記にしました。そして100万人近い人が、その地名をツイッターで目にしていただいた。公道レースを日本で初めて開催するという勇気と、元気がある街だと、全国に知ってもらえたのです」

「そういう意味では、町おこしにぴったりかもしれない。でも横浜や大阪でやっていただいたら、企業にもメリットがあると思いますし、人が集まるイベントが実現できるかもしれません」

 では2回目の開催はあるのか? それは再び江津なのか? あるいは別の街なのか?

「江津からは、またやりたいという声をいただいています。ぜひ、日本中から声を上げていただきたいです。コロナ次第というところもありますが、もしかしたら来年は1年間空けるかもしれません。そして2年後には年間3〜4戦ができればと思っています。それまでにどんなレギュレーションにするのかを考え、まずは候補地でデモ走行をやることから実現したいと思います」


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