激熱なのはランエボ&インプだけじゃない! 「2リッターターボ+4WD」のラリー参戦ベース車4台 (2/2ページ)

GRヤリスのようにコンパクトなモデルも!

3)スバル 初代レガシィRS(1989年)

 平成になった直後に登場した初代レガシィは、当時全体的にクルマが古くなっていたスバルにとって、「エンジンをはじめすべてが新しい」という言葉が相応しいターニングポイントとなったモデルである。初代レガシィのセダンに設定されたスポーツモデルのRSもセリカGT-FOURやギャランVR-4と同様のモータースポーツ参戦を見据えた2リッターターボ+4WDというパワートレインを搭載し、WRCに参戦。参戦初期は振るわなかったものの、戦闘力は徐々に向上したのだが、優勝できないうちにインプレッサが登場。

 スバルは「功労車であるレガシィが1勝を挙げてからインプレッサにスイッチ」という計画だったのだが、初代レガシィはなかなか優勝できず、タイムリミット&ラストチャンスとなったのが93年のニュージーランドラリーだった。ここで故コリン・マクレー選手が「当時の三菱車とは対照的にエンジンの力強さが劣る代わりに、シャープに曲がる」という初代レガシィの武器を生かし、スバル、レガシィ、マクレー選手自身ともに初となる優勝で、初代レガシィはラリーカーとしての役割をインプレッサに引き継いだ。

4)日産パルサーGTi-R(1990年)

 80年代終わりから日産は1.8リッターターボ+アテーサと命名された4WDを搭載する8代目ブルーバードで全日本ラリーなどに参戦しており、ライバルは8代目ブルーバードと同じ1987年に登場したギャランVR-4だった。8代目ブルーバードは1989年のマイナーチェンジでメインとなるエンジンを2リッターターボも含めたあのSR型に変更し、それは競技ベースのSSS-Rも同様だった。しかし日産は1990年登場の4代目パルサーに前述のセリカGT-FOUR、ギャランVR-4、レガシィRSに相当するWRC参戦を見据えたGTi-Rを設定し、ブルーバードSSS-Rの後継車的存在とした。

 パルサーGTi-Rは現在のGRヤリス程度の全長の小さなボディに2リッターターボ+4WDということで、高い戦闘力が期待されたのは当然だった。しかし、ボディサイズの小ささによるエンジンルームの狭さが原因だったのか水温などのオーバーヒートや、重量配分によるものだったのか前輪の負担が非常に大きいといった問題も多く、それほど活躍できずWRCから撤退した。


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