「会社の危機」を救ったのは1台のクルマ! 自動車メーカーの運命を変えた国産車4台 (2/2ページ)

その後のメーカーの方向性を決定したクルマも

3)マツダ・アテンザ

 マツダも、ひところ精彩を欠いたことがあった。それまでのカペラやファミリアといった乗用車の売れ行きが停滞したからだ。そこに登場したのが、2002年のアテンザである。また、Zoom-Zoomという標語を通じ、マツダ車はどれも運転を楽しめる乗用車であることを明らかにした。これを後押ししたのは、1989年に誕生したロードスターに対する高い評判だろう。何か高度な技術が搭載されているわけではなかったが、小型・軽量で調和の取れたクルマは運転が楽しいことを、ロードスターは明らかにした。

 アテンザは、エンジンこそ新規開発であったが、何か飛び道具のような技術を搭載したわけではない。しかし、技術者の英知を結集し、消費者が便利に思える機能を充実させ、魅力的な商品にした。またアテンザのプラットフォームが、フォードグループ内で供用される計画もあり、渾身の開発となった。そして、Zoom-Zoomの合言葉を、社内で皆が共有することで、マツダ車の魅力がすべての車種で統一的に広がった。

4)三菱i-MiEV

 三菱自動車工業が、2009年に電気自動車(EV)のi-MiEVを発売したことも、その後の行方に大きな影響を及ぼした。軽EVのモーターやバッテリーを活用することで、SUVのアウトランダーPHEVが誕生するのである。そしてエクリプスクロスPHEVへもつながる。

 軽自動車用のEV部品で、3ナンバー車のSUVを構成するようなことは、エンジンでは無理だ。こうして、三菱自は経営計画のなかで、電動化とSUVを柱として再起をはかっているのである。

 メーカーを問わず、企業の危機を救った各車両は、必ずしも先進技術を搭載したわけではない。しかし、消費者にとって何が魅力であるのか、またクルマの本質は何か、未来がどう拓かれるのかを深く追求して生まれたクルマではないだろうか。前のクルマより良くするという仕事の仕方ではなく、あるいは足元の経営を取りつくろう近視眼的でもなく、本物を目指そうとした志が、時代に名を残すクルマを生み出させたのだと思う。


御堀直嗣 MIHORI NAOTSUGU

フリーランスライター/2023-2024日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員

愛車
日産サクラ
趣味
乗馬、読書
好きな有名人
池波正太郎、山本周五郎、柳家小三治

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