「オペルが日本にやってくる!」 だけどオペルってそもそもどんなメーカー? (1/2ページ)

GMの欧州部門という位置づけだった

 オペルという自動車メーカーの名前を聞いたことはあるだろうか。

 欧文表記では「OPEL」となる、ドイツにルーツを持つブランドだ。そのオペル、かつては日本でも正規販売されていたこともあり、親近感を持つ人もいるだろうが2006年に撤退していることから最近の自動車ファンにとっては、馴染みのないブランドとなっているだろう。

 そんなオペルが2021年内に、日本再上陸を果たすことが発表されている。はたして、どのような経緯で日本にカムバックすることになったのか、あらためて創業からオペルのヒストリーを振り返ってみよう。

 多くの自動車メーカーがそうであるように、オペルというブランド名もまた創業者の氏名に由来している。その創業者こそ、アダム・オペル氏だ。会社の設立は1862年とかなり古く、創業の地はドイツ・リュッセルスハイムとなっている。

 もともとはミシン製造をビジネスの中心としており、自動車の製造を始めたのは1899年、創業者アダム・オペル氏が亡くなったのちの話である。

 それでも自動車製造企業として100年以上の歴史を持っているわけで、非常に歴史が長いブランドのひとつであることは間違いない。また、20世紀初頭にはドイツ国内においてトップシェアを誇っていたこともあるほど実績のあるブランドなのであった。

 そんなオペルは1929年にアメリカの大メーカーであるGM(ゼネラルモーターズ)の出資を受け入れ、1931年にはGMの子会社となった。第二次世界大戦中、ドイツにおいて労働者党が政権を取ると(いわゆるナチス・ドイツ)一時的にGMの経営権は失われるが、戦後になると再びGM傘下のブランドとして商用車を中心に展開を始めた。

 そして本格的に大衆車カテゴリーに参入したのが1960年代で「カデット」や「レコルト」といったオーソドックスな乗用車を矢継ぎ早に登場させ、1970年になるとスポーツクーペの「マンタ」も生み出すなどラインアップを充実させていく。

 とはいえ、商用車のイメージが強いこともあってプレミアムブランドに成長するというわけにはいかなかった。GMの欧州部門というイメージが色濃く、その各モデルにはドイツ車というよりはグローバルモデルの欧州向けといえるものだった。

 たとえば、1970年代にオペルの中心モデルとなった第三世代のカデットのアーキテクチャは、日本では同じくGM傘下にあったいすゞが「ジェミニ(初代)」として利用している。エンジンこそ、それぞれオリジナルだったが、外観については、まったく同じといえる兄弟車だった。そうした関係もあって、日本では1989年からいすゞ系ディーラーにて、オペルの正規輸入モデルが販売されていた時期もある。

 また、いすゞとの関係でいえばドイツでオペル車をメインターゲットにチューニングしていた「イルムシャー」が、いすゞ車のスポーツブランドとして活用されたことも思い出すが、これもGM傘下のリソース活用といえる。


山本晋也 SHINYA YAMAMOTO

自動車コラムニスト

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