やっぱりニッポンのモノ作りは凄かった! 世界を変えた「あっぱれ」な日本車たち  (1/2ページ)

この記事をまとめると

■誕生当時は誰からも見向きもされなかった日本の技術が後世に主役となることもあった

■HV、EV、クロスオーバーSUVなどの現在の人気カテゴリーの先鞭は日本車だった

■技術をいかに実用化して市販へ持ち込むかの着想に日本の自動車メーカーは優れていた

今ではスタンダードなハイブリッドもデビュー時はイロモノだった

 1997年にトヨタ・プリウスが誕生し、ハイブリッド車(HV)市販の実例が示された。その当時、欧州ではHVに悲観的な立場をとった。「部品点数が増えるばかりで、一時的なものでしかない」とし、ディーゼル車の普及に努めたのである。

 結果、欧州でのディーゼル車普及率は、それまで小型車を中心に市場の20%ほどであったのが、わずか20年の間に50%前後まで広がった。一方、ディーゼル車に対する排出ガス規制が追い付かず、米国での偽装問題が発覚した。そして今日、欧州車を含めプラグインハイブリッド車(PHEV)が電気自動車(EV)を補完する重要な商品に育っている。

 同じく1997年に、SUV(スポーツ多目的車)のトヨタ・ハリアーが誕生した。それまで、本格的な4輪駆動(4WD)車=クロスカントリー4WDの技術を活用したレクリエーショナルヴィークル(RV)として、いすゞビッグホーンや三菱パジェロが人気を呼んだが、それとは別に、外観は似ていても乗用車を基にしたSUVとして、ハリアーが先鞭をつけたといえるだろう。基になったのは、前輪駆動の4ドアセダンであるカムリだ。

 RVは、クロスカントリー4WDに比べ日常性や快適性を備えたが、SUVはさらに乗用車的な乗り味を重視したクルマであった。それが、今日のSUV人気のはじまりである。SUVが自動車市場を席巻するまでに育つとは、ハリアー誕生当時、誰が想像しただろう。


御堀直嗣 MIHORI NAOTSUGU

フリーランスライター/2023-2024日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員

愛車
日産サクラ
趣味
乗馬、読書
好きな有名人
池波正太郎、山本周五郎、柳家小三治

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