この記事をまとめると
■S2000はそもそもがタイプR的な存在だった
■その象徴はエンジンの赤ヘッド
■サーキットベストなタイプRの定義にオープンモデルは不向き
創立50周年を記念して誕生したFRスポーツ
 ホンダの創立50周年記念として1999年に生み出された伝説のスポーツカーが「S2000」だ。専用設計のF20C型エンジンをフロントに縦置き、つまりFRレイアウトまでも専用設計するという半端ない力の入れようで作られた2シータースポーツだ。
 ホンダS2000のフロントスタイリング画像はこちら
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 そんなS2000には、VGSステアリング機構を採用した「タイプV」、2.2リッターエンジンとなった後期型の最後期には専用サスペンションとエアロパーツを与えられた「タイプS」は用意されたが、結局最後まで「タイプR」は登場することはなかった。
 ホンダS2000タイプVのエンブレム画像はこちら
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 はたして、S2000にタイプRが登場しなかった背景とは?
 個人的に、S2000の開発に関わった複数のエンジニアに伺った話をひと言でまとめれば、「S2000は生まれながらにしてタイプRだった」という理解ができる。タイプRの象徴といえる赤ヘッド(赤い結晶塗装のカムカバー)が、S2000にはデフォルトで備わっていたのは、まさに生まれながらのタイプRであることの証といえる。
 ホンダS2000のエンジン画像はこちら
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 一方で、S2000はオープンボディだったのでタイプRにはなれなかったという見方もある。日本におけるタイプR不変のキーワードは「サーキットベスト」である。ストリートでの使い勝手を犠牲にしてでもサーキットでの速さを追求するというのが、タイプRの根底にある。
 今でこそ、電子制御サスペンションによりストリートでの快適性も両立するようになっているが、S2000の後期に重なるFD2型シビックタイプRの走りを思い出せば、当時のサーキットベストへ向けた考え方が理解できるだろう。
 FD2型シビックタイプRの鈴鹿走行シーン画像はこちら
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