なにこれフィアット? いやいやZAZです! かつてプーチン大統領も乗っていたウクライナの自動車メーカーとは (1/2ページ)

この記事をまとめると

■ウクライナには「ZAZ」という自動車メーカーが存在する

■旧ソビエト政権下でフィアット600の量産をしたのが自動車メーカーとしての始まり

■現在はクリミア危機やウクライナの経済危機の影響で操業を停止している

旧ソ連版フィアット600の製造が自動車メーカーとしての始まり

 ここ最近、心配されるウクライナ情勢だが、ウクライナにも自動車メーカーがあることは意外と知られていない。それが「ZAZ」だ。正式には「Запорізький автомобілебудівний завод」といって、アルファベットに直すと「Zaporiz’kyi avtomobilebudivnyi zavod」、意味としては「ザポリージャの自動車工場」。とにかく頭文字をまとめるとZAZなのだ。

 ザポリージャとはドニプロ川下流の街で、ZAZは1863年、工業プラントとして設立され、20世紀初頭にはエンジン製造を手がけた。周辺の同業他社との合併併合を経て穀倉地帯であるウクライナのこと、当初は耕運機や収穫機といった農業用機械を生産していたが、自動車にエンジンを供給するようになったのは1960年からのことだ。

 旧ソビエト政権下における国民車構想で1950年代末、イタリアはフィアットからの技術供与でフィアット600を旧ソ連領内で生産することが決定した。だが、プロトタイプ用に選ばれたエンジンは、今でこそ日本でもサイドカーが人気を博しているウラル製で、二輪用でたった17馬力少々のフラットツインだった。旧ソの自動車研究機関NAMIによれば、3万㎞ごとにオーバーホールが必要という過負荷のため、もっとパワフルで信頼性の高い空冷エンジンが求められた。これとて戦前のBMWからのリバース・エンジニアリングによる産物で、適切なエンジンが得られない紆余曲折のなかから、軍用車LuAZ967用にNAMIが開発した746ccの空冷V4・23馬力仕様ことMeMZ965エンジンが、ザポリージャのZAZで量産・供給されることになった。

 これが自動車メーカーとしてのZAZの始まりで、初の量産モデルはZAZ-965ザポロージェツと呼ばれた。単純化すれば旧ソの政策主導によるイタリア車コピーのようだが、V4エンジンをリヤに収めるために独自の4輪独立懸架サスを備えるなど、一筋縄ではいかない成り立ちを秘める。

 オリジナルのフィアット600に比べ、簡素化されたフロントグリルやプレス成型もみてとれる。余談ながら1970年公開のイタリアのメロドラマ映画「ひまわり」にイタリア-旧ソ連の技術供与と交流は少なからぬインスパイアを与えたと思われ、ソフィア・ローレンのキメ気味のメイクと、リュドミラ・サベリーエワの薄幸そうな雰囲気に、まんま通じるものがある。


南陽一浩 NANYO KAZUHIRO

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