大正時代から繋がる「ダットサン」が消滅の危機! 懐かしのクルマを振り返る (2/2ページ)

ダットサンブランドが1990年代末まで日本にあった

 しかし、日本国内でダットサンのブランドイメージが高まったのは、同じ1969年にほかのモデルによってなされたといえる。それがダットサン・ブルーバード(510型)だ。

 その印象は故・石原裕次郎氏の主演映画「栄光への5000キロ」によって作られた。石原裕次郎氏が演じる、レーサー五代がクライマックスといえるサファリラリーのシーンで駆るラリーマシンがダットサン・ブルーバードSSSだったのだ。走行シーンは実際のサファリラリーに参戦(ドライバーなどは別人)することで撮影するなど、現代では考えられない贅沢なロケをしたこともあってインパクトは抜群。赤いボディに黒いボンネットのブルーバードは日産ワークスのイメージモデルにもなった。

 ただし、国内向けに日産の主力車種がダットサンを名乗っていたのは、フェアレディZとブルーバードくらいで、その後は日産ブランドが主流となっていく。とくに1970年代にはスカイラインが売れるなどダットサンはセカンドブランド的なイメージに変わりつつあった。

 そうした時代を示すモデルのひとつが1BOXの初代「バネット」だ。基本的には日産バネットだったが、販売チャネルによってはダットサン・バネットの名前で売られることもあった。そんなバネットには乗用モデルがあり、6気筒エンジン搭載グレードも用意されていた。

 基本は商用1BOXではあるが、現在のミニバンにつながるモデルであったことは自動車史の視点からすると忘れるわけにはいかない。そのモデルが、ダットサン・ブランドで展開されていたことは紛れもない事実だ。

 徐々に日産車からダットサンという響きが消えていくなかで、最後までダットサンの名前を守っていたのが「ダットサントラック」、通称ダットラだ。

 1985年~1997年まで製造された最後のダットラは、ビジネスユースだけでなくホビーユーザーもカバーするピックアップトラックで、そのスタイルを見ればRVモデル「テラノ」に発展したことは一目瞭然。ダットサンはSUVブームの源にもなっていたのだった。


山本晋也 SHINYA YAMAMOTO

自動車コラムニスト

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