車名の数字は目標速度220マイルから! まんまグループCカーの見た目の「ジャガーXJ220」は紛れもないスーパーカーだった (1/2ページ)

この記事をまとめると

■1990年代、ジャガーはまるでグループCカーのようなスーパースポーツカーを生産した

■XJR220は最高速度220マイル(352km/h)を狙ったモデルだった

■271代が生産されたXJR220はジャガーの歴史の中でもとりわけスーパーでエキゾチックな1台だ

始まりは業務時間外のプライベート活動の一環だった

 かつてジャガーは、「XJ」という伝統の2文字を車名に掲げたスーパースポーツを開発、そして生産したことがある。それはほぼ前後して限定生産された、「XJ220」と「XJR-15」の両モデル。いずれも当時のグループC車両に近い、見た目にも優秀なエアロダイナミクスを予感させる2台のXJだが、その開発の始まりは大きく異なっていた。

 グループCに近いという意味では、1988年のル・マン24時間レースで総合優勝を果たした「XJR-9」をベースとし、TWR(トム・ウォーキンショー・レーシング)に開発が委ねられたXJR-15のほうが、レースカーからの流れという意味では正統派ということになるのだが、実際に開発がスタートしたのはXJ220のほうが5年ほど早い。

 ちなみにそれは、ジム・ランドルを始めとするジャガー社内のスタッフが、業務時間外のプライベート活動の一環として立ち上げたプロジェクトだった。220という数字の意味するものはその最高速。彼らが狙ったのは220マイル(約352km/h)という数字にほかならなかったのだ。

 そのために必要とされたのが、例のグループC車両にも似た滑らかなボディスタイルであり、またミッドに搭載された6リッター仕様のV型12気筒エンジンだった。

 実際にそのプロトタイプは、1988年のバーミンガムショーでワールドプレミアされることになるが、それに対する注目度や期待感は大きく、生産化を公式に発表していなかったにもかかわらず、じつに1500台以上ものオーダーが当時のジャガーには届いたという。そして同時に、このXJ220をモータースポーツの世界へと投じることも、ジャガーのファンにとっての新たな夢となった。


山崎元裕 YAMAZAKI MOTOHIRO

AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員 /WCOTY(世界カーオブザイヤー)選考委員/ボッシュ・CDR(クラッシュ・データー・リトリーバル)

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フォルクスワーゲン・ポロ
趣味
突然思いついて出かける「乗り鉄」
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