明らかに「ハズしちゃった」モデルもありました! マスタング50年に渡る8代の歴史を振り返る (1/2ページ)

この記事をまとめると

■日本市場から撤退してしまったフォードのアイコンといえば、それはマスタングだ

■本国ではマスタングはフルモデルチェンジした第7世代が発表されている

■そこでここでは50年以上にわたるマスタングの歴史を振り返り、各モデルを紹介する

若者にも買えるスペシャリティとして誕生したマスタング

 残念ながら日本市場からは撤退してしまったものの、現在でも多くのファンを持つのがアメリカのフォード。そのなかでも代表的な存在としてあげられるのは、やはりスペシャリティカーの「マスタング」だろう。

 参考までに最新のマスタングは、2022年9月に8年ぶりのフルモデルチェンジを受けており、それが正規輸入されないというのは、ファンにとってはいささか残念なところ。日本上陸復活を祈りながら、今回はこのマスタングの半世紀以上にわたる歴史を振り返っていこう。

 初代マスタングが誕生したのは1964年のことだった。それはコンパクトなファルコンをベースとしたスタイリッシュな2ドアのスペシャリティカーで、若い年齢層のカスタマーの購買欲も刺激する安価なベーシック価格も大きな話題となった。このベーシック価格にエンジンやミッション、ディスクブレーキといった各種のメカニズムや装備類を選ぶことができるフルチョイス・システムを利用して、カスタマーは自分の好みと予算に応じたマスタングを発注することができたのだ。

 最初にマスタングに用意されていたエンジンは、170立方インチ(2.8リッター)の直列6気筒のほかに、260立方インチ(4.3リッター)と289立方インチ(4.7リッター)の両V型8気筒。

 1965年には直列6気筒エンジンが200立方インチ(3.3リッター)に排気量拡大されたほか、V型8気筒も3種類のチューニングを用意した289立方インチに統一されている。ボディにファストバックが追加されたのもこの年だ。

 また、1967年にはボディがさらに大型化され、エンジン・バリエーションにも390立方インチ(6.4リッター)のV型8気筒を追加。翌1968年には直列6気筒が250立方インチ(4.1リッター)にまで排気量を拡大し、2種類のチューニングでパワー志向をさらに強めている。

 フォードはそれを正式にセカンドジェネレーションとは呼ばないが、1969年のマスタングには非常に大きな変化があった。まず、誰もが気づくのはボディの大型化で、1971年モデルではついにホイールベースも延長された。ボディタイプは基本となるハードトップのほかに、これまでファストバックと呼ばれていたスポーツルーフ、そしてコンバーチブルの3タイプ。スポーティな仕様のグレード名で「マッハ1」が登場したのもこのときだ。

 この時代のフォードは、マスタングの販売をより積極的に行うために、モータースポーツによるプロモーションを幅広く展開していた。キャロル・シェルビーの手によるGT350や、フォード自身が開発したBoss302や同429などは、主戦場であったトランザム・シリーズに参戦するために製作されたホモロゲーションモデル。ちなみに429立方インチ(7リッター)という排気量は、歴代マスタングのなかでも最大のものとなる。

 マスタングに最初のフルモデルチェンジが行われたのは1974年のことだった。この時期、世界はオイルショックの最中。当然のことながら自動車には小型低燃費が強く求められていた。マスタングももちろん例外ではなく、イタリアのカロッツェリア・ギアに委ねられたボディはよりコンパクトに、しかしながらマスタングが本来目的としていた軽快なスペシャリティカーの雰囲気を強く演出したものに変貌を遂げていた。

 ボディはハッチバックとハードトップの2タイプ。エンジンも140立方インチ(2.3リッター)の直列4気筒と169立方インチ(2.8リッター)のV型6気筒のみとシンプルな構成だった。だが、マスタングのファンにはそれではやはり物足りなさが残ったのだろう。フォードは翌1975年には302立方インチ(5リッター)のV型8気筒を復活させたり、1976年にはコブラ・パッケージを設定するなどさまざまな策でファンを刺激した。


山崎元裕 YAMAZAKI MOTOHIRO

AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員 /WCOTY(世界カーオブザイヤー)選考委員/ボッシュ・CDR(クラッシュ・データー・リトリーバル)

愛車
フォルクスワーゲン・ポロ
趣味
突然思いついて出かける「乗り鉄」
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