打倒フェラーリを掲げたプジョーがあった! 市販化されなかったのが残念すぎる「907」という500馬力V12を積んだスーパーカーとは (1/2ページ)

この記事をまとめると

■2004年のパリサロンでプジョーはスポーツクーペの907を発表した

■フェラーリを直接のライバルに想定したパフォーマンスと美しいスタイリングを持っていた

■プジョー907の市販化は実現せず、プジョー博物館でその姿を見られるのみとなっている

2004年のパリサロンで発表されたプジョーのスーパースポーツ

 2004年のパリサロンで、地元フランスのプジョーは3台のコンセプトカーを披露した。4ホイールのモーターサイクルともいえる「クォーク」。ショーでの発表後、実際に2005年から2009年にかけて販売されることになる、左右にコンパクトなパワースライディングドアを持つ、3ドアモデルの「1007」。そしてここで紹介するスポーツクーペの2シーターGT、「907」の3台がそれだった。

 クォークや1007は、いかにもプジョーらしいコンパクトで機能性の高さを感じさせるモデルだったが、このときのプジョーブースで異彩を放っていたのは、やはり907にほかならなかった。全長が4370mm、全幅と全高はそれぞれ1880mm、1210mmというボディサイズは、やはりプジョーのエンブレムを掲げるモデルとしては堂々たるもので、さらにデビュー前からプジョーは、それを「マラネロのフェラーリに対するプジョーの回答」と説明するなど、その高性能ぶりを大きなセールスポイントとしていた。

 パリ・サロンにおけるプジョーのプレスコンファレンスに、その907の姿を求めて世界中のメディアが集まったのは、当然の結果といえたのである。

 アンヴェールされた907は、クラシカルでもあり、また最新のエアロダイナミクス技術を駆使した流麗な2ドアボディを持つモデルだった。ボンネットの中央先端には、もちろんプジョーのエンブレムが輝くこのボディをデザインしたのは、当時のチーフ・スタイリストであった、ジェラール・ウェルターと、そのチームに属するジャン・クリストフ・ボレ・レダの両氏を中心にしたチームだった。

 それは同時にプジョーのデザインセンターが、約40年にわたって使用されてきたラガレンヌから、最新の設備を誇るヴェリジーへと移転。そのオープンを祝うための特別なモデルであったともいう。


山崎元裕 YAMAZAKI MOTOHIRO

AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員 /WCOTY(世界カーオブザイヤー)選考委員/ボッシュ・CDR(クラッシュ・データー・リトリーバル)

愛車
フォルクスワーゲン・ポロ
趣味
突然思いついて出かける「乗り鉄」
好きな有名人
蛯原友里

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