えっ? そっちが前なの!? ブガッティのレーシングカー「タイプ32」の形が謎すぎた (2/2ページ)

空気抵抗減を目的としたスタイリングはダウンフォース不足

 だがこの時代、まだエアロダイナミクスは空気抵抗を減らすことを主たる目的としていたようで、現代のように路面とのヴェンチュリー効果によるダウンフォースを得るという考えには至っていなかったようだ。事実、タイプ32はグリップ性能には乏しく、とくに高速走行時には車体のリフトが大きな問題として指摘されたという。1994mmと極端に短いホイールベースもまた、その一因であったとも考えられる。

 タイプ32に搭載されたエンジンは、タイプ30用のそれをベースとした1991ccの直列8気筒。最高出力は90馬力と発表され、これに3速のトランスアクスル・トランスミッションが組み合わされていた。

 シャシーはアンダースラング・シャシー(縦置きリーフスプリング式サスペンションでリーフスプリングは車軸の下側にレイアウトされる)、そして油圧式のフロントブレーキを採用するなど、ボディデザイン以外にも、このタイプ32はメカニズム的に見るべきポイントが非常に多いモデルだった。

 タイプ32は、1台のプロトタイプを含めて5台が製作されるが、実際にレースに参戦したのは前で触れた1923年のフランスGPのみだった。最上位を飾ったのはフランス人ドライバーのアーネスト・フリデリッチで、約800kmの走行距離を7時間22分4秒で完走。見事に3位入賞を果たしてみせた。

 このフレデリッチが駆ったタイプ32は、チェコスロバキアのカスタマーが入手し、さらに1923年にさまざまなレースやヒルクライムに参戦。第3回ヒルクライム・シェーバーベルククレンネンでは優勝というリザルトを残している。

 ブガッティがタイプ32での活動を1年かぎりで(実際には1戦かぎりと言ってもよい)休止したのは、それに続くタイプ35の開発に注力するためだった。タイプ35がいかに大きな成功を収めたのかは、改めて詳しく解説するまでもないところ。

 そしてタイプ32「タンク」のコンセプトは、1936年に3台が製作されたタイプ57Gへと引き継がれ、同年のフランスGP、あるいはさらに翌1937年のル・マン24時間の両レースで優勝するなど、歴史にその名を残したのである。


山崎元裕 YAMAZAKI MOTOHIRO

AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員 /WCOTY(世界カーオブザイヤー)選考委員/ボッシュ・CDR(クラッシュ・データー・リトリーバル)

愛車
フォルクスワーゲン・ポロ
趣味
突然思いついて出かける「乗り鉄」
好きな有名人
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