かつてはレースもラリーも命を失う事故が頻発! 「安全になった」と思われるいまでもレーシングドライバー目線では危険な改善点が多数存在する!! (1/2ページ)

この記事をまとめると

■かつてモータースポーツではクラッシュによって命を落とすドライバーが多かった

■最近はコースの安全性が飛躍的に向上し、大きなクラッシュは減少傾向にある

■いまのスポーツカーは簡単にスピードが出るので、走り方や装備を見直す必要がある

モータースポーツは命懸け

 カーレースにしてもラリー競技にしても、自動車を走らせて速さを競うモータースポーツ競技は常に危険と隣り合わせだ。これまでにレースで命を落としたレーサーは数多く、僕の世代にも犠牲となった仲間が大勢いる。

 1990年代までは毎年のように訃報が届き、明日は我が身と案じながら活動してきた。

 いまでも危険であることは変わらないが、如何に安全に競技をするか、関係者は多くの努力を続けてきている。

 僕自身も大事故に遭ったことが何度もある。最初は鈴鹿サーキットの130Rで大クラッシュをしたこと。シビックワンメイクレースの記念すべき開幕戦で予選上位に付けていたが、130Rを全開でクリアしようとしてコースアウト。当時130Rのイン側はコンクリートウォールとなっていてイン巻き状態でフロントから激しくクラッシュ。エンジンが割れるほどの大クラッシュだったがロールケージで囲われたキャビンは無事で怪我を追わずに済んだ。

※写真は現在の130R

 その数年後、同じコーナーでテスト中のポルシェ911市販車を同じような状況でクラッシュさせてしまったが、このときは左足の膝と腓骨を骨折。ロールケージのないノーマル車だったため怪我を負うこととなったが、シビックより遥かに速い速度でのクラッシュながら、ポルシェ911のキャビンは無事であり、911の頑丈さを自ら確かめることとなった。

 5点式シートベルトのレース用シビックと3点式ベルトのノーマルポルシェではクラッシュ時のダメージは明確にわかれ、以降はノーマル車のテスト走行でも5点式以上のシートベルトを確実に装備するようになった。

 シビックでクラッシュした原因は、当時の鈴鹿をベースとするメカニックから「130Rは全開だよ」と指示されたため、感覚的には無理に感じていたが、言葉を信じて試してしまったことが原因だった。ピットに戻ると同じメカニックが「一旦ブレーキしてからアクセル全開にするんだよ」と。それ以来、他人の言葉を信用するのは止めた。モータースポーツでは実際に走っているドライバーの正直な言葉しか信じてはいけない。

 ニューツーリングカー(JTCC)で多重クラッシュに巻き込まれたとき、レースが続行されるなかで救急車が1台駆けつけてくれた。しかし、クラッシュに巻き込まれダメージを受けて停止している車両は4台。うち1台からは火が上がっていてドライバーはまだコクピットにいた。

 オフィシャルと協力してひとりずつ救出し救急車に乗せたが、救急車とは名ばかりで、外見は救急車の呈を成していたが、中味はがらんどうのバンのままの荷室だった。パイロンなどが散乱するなかに怪我したドライバーを転がすように寝かせ、4人揃って搬送されたが、バンのままのサスペンションは固く、荷室の我々は飛び跳ね、転がり、ますます怪我は重くなるのを感じた。日本全国のサーキットに配備されていた救急車はどれも似たような状況で、事実を知ってからは安心してレースする気分にはなれなくなった。

※写真はイメージ

 モータースポーツで危険に晒されているのはドライバーだけではない。グループA時代のレースでは耐久レース中に給油を行う。ドライバー交代して車両を降りると隣のピットのマシンがピットインしてきた。すぐにメカニックが給油作業を始めるが給油口から溢れた燃料がメカニックにかかり火の手があがる。そのメカニックは全身火だるまとなって立ったまま絶命してしまった。

 いまではピットクルーもレーシングスーツにヘルメットを装着し、ドライバーと同様の安全装備が義務付けられるようになったが、当時はTシャツに短パン姿で作業していたのだから、いま思い起こすと恐ろしい状況だった。


中谷明彦 NAKAYA AKIHIKO

レーシングドライバー/2023-2024日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員

中谷明彦
愛車
マツダCX-5 AWD
趣味
海外巡り
好きな有名人
クリント・イーストウッド、ニキ・ラウダ

新着情報