あのジープ顔はもともとフォードのものだった! なんと27万台も生産されたフォードのジープとは (2/2ページ)

戦後にフォードはジープ製造から撤退

 ただし、いまではジープのアイコンともなっている縦長に穴の開いたグリルというのはフォードのアイディア。ウィリスは戦後になるとジープ事業から撤退したフォードから権利を買うか何かして、ちゃっかり「ジープ顔」をゲットしたのでした。

 さて、ウィリスMBが採用されたものの、大量生産能力ははるかにフォードが勝っていたため、GPWは27万台も生産されました。ウィリスMBが同時期に36万台とされていますから、なかなかの数字かと。また、ウィリスと完全互換、同一仕様ながら、フォードは部品番号の頭にFをつけるというプライドだかなんだかを見せたそうです。

 また、車体後部のパネルにはFORDのロゴがデカデカとプレスされているものもあるなど、許される範囲でウィリスとの差異を付けていました。

 なお、軍によってエンジンはウィリスMBと共通の「L134」の搭載が余儀なくされました。4気筒サイドバルブ、2.2リッターで60馬力/4000rpmほどのパフォーマンスですが、ロングストロークで低中速を重視した設計で、悪路における走行性能に大きく貢献したとされています。

 ちなみに、L134エンジンは戦後も数多く生産され、純正かリプロを問わずパーツが多数流通しているため、いまでも新品エンジンを組むことが可能といわれます。

 ただし、フォードGPWは戦時中のみの生産で、戦後になるとフォードはジープ事業から撤退。前述のとおりグリルの意匠などをはじめ、すべてウィリスへと譲渡したとされています。ウィリスが戦後も発展モデルをリリースし続けたのとは対照的ですね。

 もっとも、フォードは戦時中にウィリスがやらなかった水陸両用ジープ、その名もSEEP(シープ:Seagoing jEEP)なるモデルも作っているので、戦後も続けていたら面白そうなジープが増えていたかもしれません。


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石橋 寛 ISHIBASHI HIROSHI

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