かつてタクシーの王道だったクラウンの役目はいまアルファードが担っている! 古くても過走行でも値が付く「業務用アルファード」の底力!! (1/2ページ)

この記事をまとめると

■かつてタクシーといえばトヨタ・クラウンが鉄板車種であった

■最近ではアルファードの採用率が伸びてきている

■アルファードはビジネス用途であれば再販価値がまだまだ高い車種だ

タクシーのパイオニアがバトンタッチされつつある

 かつて日本のタクシー車両の代表といえば、トヨタ・クラウンであった。1955年1月に初代トヨペット・クラウンが純国産乗用車としてデビューする。いまからでは信じられない話なのだが、当時の日本メーカーといえば、オースチンやヒルマン、ルノーなどの海外ブランドモデルをノックダウン生産することで、そのノウハウを学び取り、各メーカーの開発力や生産能力の向上を図っていたのである。

 しかし、トヨタはこの方式をとらずに自社開発にこだわり続けた。

 とはいっても、当時はトラックシャシーにセダンのボディを架装した、なんちゃって乗用車も目立っていたので、初代クラウンは純国産だけではなく、乗用車専用設計モデルとしてこだわって開発されデビューした。

 とはいえ、時は1955年。終戦からわずか10年後の話となるので、マイカーなどというものはまさにおとぎ話の世界であった。初代クラウンはハイヤー、企業幹部送迎車、そしてタクシーとして主に使われた。いずれも、アメリカ車をメインとした輸入外国車ばかりだった用途に、クラウンは果敢なく挑んでいったのである。

 リヤドアが逆ヒンジタイプとなる観音開きドアを採用しているのも、助手席にまさに助手が座り、後席乗員(偉いひとあるいは乗客)の乗降時に効率よくリヤドアを助手が開閉できるように考慮されたものとされている。また、当時のタクシー車両についても、純国産乗用車であるクラウンを普及させたいという狙いもあったようである。

 以降、クラウンは日本のタクシー車両の代表として君臨した。

 事実、1995年に営業車専用となるクラウンコンフォートがデビューするまでは、クラウンセダンをベースとしたタクシー仕様車が用意されていたほど。ハイヤーや企業送迎車としても使われ、そこで外国製乗用車にも乗り慣れているVIPから、乗り心地などについての厳しい指摘を車両開発に反映し、タクシーとして活躍することで耐久性を高め、日本の高級車としての実力を高めていき、クラウンはいつしか、「いつかはクラウン」や「日本のクラウン」へと、そのステイタスを確立したのである。


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小林敦志 ATSUSHI KOBAYASHI

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愛車
2019年式トヨタ・カローラ セダン S
趣味
乗りバス(路線バスに乗って小旅行すること)
好きな有名人
渡 哲也(団長)、石原裕次郎(課長) ※故人となりますがいまも大ファンです(西部警察の聖地巡りもひとりで楽しんでおります)

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