拡大していくTN戦争と増えていくメーカーの信者たち
メーカー同士の熱いバトルは、それぞれにロイヤルティの高いファンを生んでいった。メディアでは「販売のトヨタ、技術の日産」というフレーズを使って、それぞれのブランドがもつ特徴を表現することもあった。トヨタは営業力で売っているだけで、技術面では日産が上まわっているという意味合いとして、日産ファンが贔屓のメーカーを応援するのによく使っていたフレーズでもある。
逆に、この時代にトヨタ車を選ぶユーザーに、そこまでブランドに対する思い入れはなかった印象だ。トヨタが「いいクルマづくり」を旗印に、ブランドイメージを高めている現在を知っている層からすると信じられないかもしれないが、1970年代のトヨタ車は現代以上にコンサバやオーソドックスという印象が強く、手堅いが面白味がないというイメージだった。
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そうした印象を変えたのは、1977年に2代目へフルモデルチェンジしたトヨタ・セリカだったかもしれない。いまでいうスポーツスペシャリティモデルであるセリカのキャッチコピーは、「名ばかりのGT達は、道をあける。ツインカムを語らずに真のGTは語れない」というものだった。
セリカのライバルとなる日産スカイラインのエンジンがSOHC(シングルカム)だったことを揶揄したものであることは明らかで、日産のファンからすると、トヨタに技術で負けるなんて信じられないと思っただろう。すかさず、日産はスカイラインにターボエンジンを搭載する(1980年)ことで対抗した。まだまだTN戦争は収まっていなかったのである。
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1980年代にはリッターカー(コンパクトハッチバック)カテゴリーで先行していたトヨタ・スターレットのライバルとして日産がマーチを誕生させたほか、SUVカテゴリーではトヨタ・ハイラックスサーフに対抗して日産はテラノをデビューさせるなど、TN戦争の戦線は拡大する一途だった。
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そして、1990年代には日産はスカイラインGT-Rやプリメーラなど多くの名車を生み出し「技術の日産」を具現化。ファンは快哉を上げていたが、その裏で日産の経営的な危機は進んでいく。
ターニングポイントは1999年、このとき日産とルノーが資本提携をした。実質的にルノー傘下となったこのタイミングで、TN戦争は完全に終結したと捉えることができるだろう。さらに、2025年現在の日産が非常に厳しい状態にあるのはいうまでもない。
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現在の国内販売を眺めてみると、数字の上でもトヨタと日産には大きな差がついている。具体的に2025年1~8月の国内新車販売データ(自販連調べ)で示せば、トヨタ・ブランドの94万1416台(レクサス除く)に対して、日産は28万477台と3分の1以下でしかない。
トヨタに次ぐのがスズキの48万6461台であり、ホンダ41万3376台、ダイハツ34万1707台となっている。TN戦争の印象が強い昭和世代はにわかに信じられないかもしれないが、日産には、倒すべき相手が増えているのが令和という時代なのだ。はたして、日産はふたたびトヨタとガチのライバルとなるだろうか。日産の復活劇を、多くのファンは期待していることだろう。