この記事をまとめると
■プリマスは1993年のNAIASに1930年代ホットロッドをオマージュしたハウラーを出展
■プリマスはハウラーをプロウラーと名付けて1998年に発売した
■プリマス・プロウラーは5年間で1万1479台が生産された
1930年代ホットロッドスタイルを現代に再現
1993年のNAIAS(デトロイトショー)。ここにクライスラーは、きわめて個性的なスタイルをもつコンセプトカーを出品した。当時クライスラーのデザイン部門を率いていたトーマス・ゲイルによれば、「1930年代のホットロッドに対しての愛着」を具現化したという、そのモデルに与えられた車名は「ハウラー」。
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だがそれが実際にプロダクションモデルへと進化するのかどうかは、正直なところ見解がわかれるところだった。その可能性が低いとする者は、あまりにも奇抜なプロウラーのスタイルと、それを受け入れる市場のサイズに理由があると指摘したが、その一方で1991年にクライスラーは、ダッジディビジョンからあの「バイパーRT/10」を発売したという実績を考えれば、このハウラーにも十分に生産化への道は開かれているという意見もあった。
ちなみにNAIASにおけるハウラーへの注目度は非常に高く、クライスラーのもとにはその後も生産を求める声が多く寄せられたという。
結果的にクライスラーが(正確にはすでに同社はダイムラーベンツと合併し、ダイムラー・クライスラー社となっていたが)、ハウラーをプリマスディビジョンから「プロウラー」として市販することを決定したのは、それから5年後の1998年のことだった。参考までにその前年には、よりコンパクトなサイズのバイパーともいえる「カッパーヘッド」が、やはりコンセプトカーとして発表されているが、こちらは残念ながら生産に至ることはなかった。プロウラーに対する市場からの期待度はそれほどまでに大きかったのだ。
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実際にデビューした生産型のプロウラーを見て、まず誰もが驚かされたのは、そのボディデザインはコンセプトカーからほとんど変わっていなかったことだろう。フロントには衝突安全基準をクリアするためのバンパーが新たに装着され、リヤセクションのデザインもやや丸みを帯びたものに変更されてはいたものの、前方に向かって強く絞り込まれたボンネットのラインや、フロントタイヤをカバーするサイクルフェンダーなどはコンセプトカーからそのまま受け継がれ、全体的にはより洗練されたスタイルに進化したという印象を強く受けた。
フロントに17インチ、リヤに20インチという極端な設定の前後異径タイヤを装着し、前傾姿勢を強調しているのも特徴的な部分だ。
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この原稿を書くにあたって、改めてデビュー当時のスペックを調べてみると、プロウラーのボディサイズは全長×全幅×全高で4199×1943×1293mm、ホイールベースは2878mmという数字であることが確認できた。昔の記憶を呼び戻すと、実際にはこのサイズほどの大きさは、視覚的にも実用面でも感じなかったというのが個人的な実感で、むしろ専用のアルミニウム製スペースフレームを採用したことなどで1270kgに抑えられたウエイトが生み出す、軽量感のほうが強く印象に残っている。
プロウラーが特徴とする長いエンジンルームに収まるパワーユニットは、1990年代中盤のクライスラーを支えた主力車種ともいえる、ミドルクラス車(LHカー)に搭載されていた、3.5リッターのV型6気筒SOHCだった。デビュー時の最高出力は217馬力とされていたが、1999年モデルではアルミブロックを採用した257馬力仕様にアップグレード。これに組み合わされる4速ATはリアにレイアウトされ、それによって50:50という理想的な前後重量配分を実現することにも成功していた。
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当然のことながらプロウラーの駆動方式はRWDとなるわけだが、プリマス・ブランドでのRWD車は、1989年の「グランフューリー」以来のモデルということになる。また、このプロウラー以降、プリマスからRWD車が誕生することはなかった。
プロウラーの生産は当初から5年間(1998年~2003年)までに限って行われる計画だったが、プリマスディビジョンの廃止に伴い、それは2002年で中止されることになった。ブランド名は2001年までがプリマス、2002年はクライスラーとなる。
トータルで1万1479台が生産されたとされるプロウラー。それは現在でもカー・エンスージアストから非常に高い人気を博している。このような遊び心に満ちたモデルが誕生することはもうないのだろうか。できることならばその再来を期待したいところである。