もしも走っていたら……トヨタ無双の可能性もあった!? ルール変更に翻弄されて幻と消えた「悲運のラリーカー」222Dとは (1/2ページ)

この記事をまとめると

■かつてWRCではグループBは危険と判断されグループS規定というのが立ち上がった

■トヨタがグループS用のマシンとして「222D」を開発した

■ルールの改訂などにより「222D」は出走することがなかった

ルールに翻弄された幻のラリーカー

 勝田貴元選手が日本人初となるWRCで2連勝を飾り(第3戦ラリーケニアと第4戦クロアチア)、日本ではWRCがいままでにないくらい注目されている。なお、現在(執筆時点・第5戦終了時)はドライバーポイントランキングで総合2位につけ、トップのエバンスとはたった2ポイント差。全14戦中の折り返し地点である第7戦、世界ラリー選手権フォーラムエイト・ラリージャパン(愛知県・岐阜県で開催)を2026年5月28日(木)~31日(日)に控えており、WRCがさらに盛り上がっていくことは必至。愛知県は勝田の地元ということもあり、熱狂は過去最大のものになるだろう。

 そのWRCで勝田が操る相棒は、トヨタのGRヤリスRally1であることは、いまさら語るまでもない。トヨタはGRヤリスの前にもカローラやセリカをラリーに投入しており、輝かしい成績を残している。日本ではスバルや三菱のラリーカーも人気だが、トヨタも忘れてはならないラリーの名士である。

 そんなトヨタのラリーカーには、幻のクルマが存在する。それがなんと、日本車初のミッドシップカーとして産声をあげた、MR2(AW11)をベースにしたラリーカー、「トヨタ 222D(以下:222D)」である。しかしこのクルマ、マニアたちからは悲運のラリーカーとも呼ばれている。いったいどんなクルマだったのだろうか。

 この「222D」は、グループB/S仕様という内容で作られたクルマだ。このうちのグループBというのは、FIAが定めるグループB規定に合致したベース車が必要なカテゴリーだ。内容としては、(連続した12カ月間に20台の競技用車両を含む200台を生産することで、20台の競技用モデルを製作可能)というルールがある。つまり、ホモロゲーションモデルの存在が必要であった。

 しかし、このグループBというカテゴリーでは、ミッドシップの4WDラリーカーが大暴れ。伝説のランチア・デルタS4がそれだ。よって、他メーカーのクルマは歯が立たなくなっていた。当時トヨタは3代目となるA60系のセリカGT-TSで戦っていた。

 そこでトヨタは、本格的なグループBマシンの開発に着手。そのタイミングで生まれたのが「222D」である。ちなみにこの車名は開発コードから来ている。WRCで当時トレンドであったミッドシップというメカニズムを最初から搭載していたこと、日本初のミッドシップカーという宣伝効果もあって、MR2がベース車として選ばれたという。

 しかしこのグループB規定、ご存じの方も多いと思うが、とんでもない化け物揃いだったこともあり事故が続発。1986年には死亡事故もあったことからこの規定が終了してルールの見直しへ。翌年1987年にグループS規定というのが新たに創設されることになり、こちらが運用される予定だった。

 このグループS規定は、グループBよりもパワーが抑えられているほか、「10台のプロトタイプを製作すればホモロゲーションを取得可能」というものであった。これには、安全性を高めつつ、マシン開発のハードルを下げて、多数のメーカー参入によるWRCの盛り上げを狙うというFIAの思惑もあったといわれている。

 そんな事情もあり、グループB規定が終了とのことでトヨタは、新たにグループS規定に合致するように「222D」の構成を変更した。

 開発段階から振りまわされたこの「222D」は、見た目こそなんとなくMR2だが、中身はWRC参戦を目論んでいただけにまったくの別物。キャビンはそのまま生かしつつ、その前後はパイプフレーム化。シルエットフォーミュラのような構成としていた。


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WEB CARTOP 井上悠大 INOUE YUTAI

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