クラウンは徳川幕府と同じく15代で終わる? 決してマイナスではない終了という決断! (1/2ページ)

タクシー用途を考えたモデルは50万km走れるとされていた

 最近、「クラウンが現行モデルを最後に廃止になるのでは?」とか、「後継車種へ引き継がれる模様」といったニュースがウェブ上をにぎわせている。「いまさら言うかよ」と思う人もいるかもしれないが、筆者が現行モデルを初めて見た時「この代で終わりそうだな」と感じていたので、これらの報道には“やっぱり“くらいにしか思えなかった。

 初代クラウンがデビューしたのは1955年なので、2020年で65年目を迎えたことになる。同一車名でこれだけ長くラインアップを続けてきたこと自体、世界的にも珍しいことだ。歴代モデルを通じても、エリアを絞って輸出したり現地生産を行なったりはしていたが、“グローバル戦略モデル”とはけっして形容できない“準日本国内専売車”だったにも関わらず、欧米など広く世界のクルマ好きに知れ渡っている。カローラと並ぶ日本を代表するモデルといえよう。

 初代クラウンは日本初の純国産乗用車としてデビューしているのだが、同時に本格純国産乗用車をタクシーに使ってもらいたいという狙いもあったと聞いている。当時は、トヨタならトラックシャシーにセダンのボディを架装したトヨペット・マスターという車両が、耐久性もあるとしてタクシー事業者で使われていたが、タクシーだけでなく、とくにハイヤーでは外国車(当時はアメリカ車がメイン)が広く使われていた。1960年初頭ぐらいの古い日本映画をみると、会社の社長車の多くがアメリカ車であった。

 しかし、初代クラウンデビュー時は、あまりのハイスペックぶりに「タクシーとして使う際の耐久性に疑問」などといわれ、なかなか使ってもらえないことも多く、トヨペット・マスターが併売されていた。

 そのうち初代クラウンがタクシーとして多く使われるようになり、8代目までセダンベースでタクシー向けの営業車がラインアップされ、長年使われてきた。このタクシー専用車の存在が、クラウン自体の耐久性や快適性の大幅向上にもつながり、65年もの間ラインアップが続いたといっても過言ではないだろう。10代目クラウンの試乗会に出かけた時、当時の開発者のひとりに「ベストモデルはどれですが?」と聞いたら、「50万km走って、引退したクラウンタクシー」と冗談半分に答えてくれた。

※写真は8代目クラウン

 新車購入情報誌の編集部にいたころ、読者から「クラウンから他メーカー同クラス車に乗り換えたら、ガソリンタンクのなかのガソリンがチャポチャポいう音が気になって仕方ない」という相談を受け驚いたのを今も覚えている。

 9代目で3ナンバーボディとなったクラウン。その直後の1995年にマークIIベースの営業車専用モデル、クラウンコンフォート&コンフォートがデビューした。タクシー専用といってもいいコンフォート系は走行距離50万kmぐらいまでは、大きな故障もなく走り続けられるように設計されているといわれた。そして、車名以外はコンフォート系とはメカニズムの共用などもなくなったクラウンシリーズも個人タクシー需要が多かったため、30万kmぐらいは難なく使えるとされていた。

 ある時、クラウンコンフォートに乗る機会を得た。乗り込むと車高の高さがとても印象的であったのだが、やはりマークIIセダンがベースということで、クラウンセダンベースのタクシーのソファのような座り心地のシートや独特の乗り心地が失われていたのが少々ショックであった。


小林敦志 ATSUSHI KOBAYASHI

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