過激なラリーマシンが続出した名車揃いのグループB時代

WRCの主役がグループ4からグループBに移行

 当時、FIA(国際自動車連盟)の下部組織として世界中のモータースポーツを統括していたFISA(国際自動車スポーツ連盟)は、1981年に車両のレギュレーション(国際競技車両規則)を一新、それまでグループ1~8と数字によって分類されていた競技車両を、新たにアルファベットで区分した8つのグループに整理統合した。WEB CARTOP

WRCに関して言うなら、それまでグループ4が主役だったものが、グループBと呼ばれるカテゴリーへと主役交代することになったのだ。より正確に言うなら82年シーズンはそれまでの主役だったグループ4と、新たに登場したグループBが混走し、翌83年からはグループBのみで争われる、というのが移行のシナリオだった。

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参戦マシンとしてはアウディ・クアトロ(初代のA1/A2、2代目のスポーツ・クアトロと、そのエボリューションモデルであるスポーツ・クアトロS1)とランチャ・ラリー037がメインで、そこに国産マシンが挑むという図式が展開された。

1985 Toyota Celica Twincam Turbo Type TA64 Gr.B WRC Spec. 
トヨタが製作した渾身のラリーカー

 初代のA20/30からラリーに顔を出していたセリカは、2代目のA40/50では1979年のRACラリーからスポーツオプションのツインカム16バルブ・ヘッドを採用したRA63型に進化している。その後継が83年シーズンにデビューした3代目、GT-TSだ。1983_Toyota Celica Twincam Turbo Type TA64 Gr.B Evo._Toyota

 TA64のネーミングから分かるようにエンジンはR型から基本設計が新しいT型、正確に言うなら国産初のツインカム・ターボとなった3T-GTEUをベースに排気量を1.8リッターまで拡大した4T-GTEUを搭載していた。GT-TSでグループBのホモロゲーションを受けたあと、84年にはこれをベースとしたエボリューションモデルが公認を取得している。1985_Toyota Celica Twincam Turbo Type TA64 Gr.B WRC Spec.

グループBとしてのデビュー戦は83年のミルピステ。3戦目、WRCでは1000湖に次ぐ2戦目となった83年のアイボリーコーストで初優勝を飾っている。写真は85年のサファリで優勝したクルマそのもので2015年のTOYOTA GAZOO Racingフェスティバルで撮影。ボンネットを開けて勢揃いしているのはエボリューションモデルの公認査察におけるシーン(トヨタ自動車広報部提供)。

1983 Nissan 240RS Type BS110 the 51st Monte Carlo Rally Overall-winner 
シルビアから昇華したグループB

 バイオレットのグループ2/4仕様でサファリラリーを4連覇した日産が、次なるラリーウェポンとして登場させたモデルが240RS。当初からグループBの専用車として企画され、3代目シルビア、S110系のクーペモデルがベースに選ばれている。1983_Nissan 240RS Type BS110 the 51st Monte Carlo Rally Overall-winner

タイプネームはBS110で、S110のグループBモデル、という立ち位置がはっきりしてくる。搭載されるエンジンはFJ24。GT-Rの名は許されなかったが「最強のスカイライン」と称賛されたスカイラインRSに搭載された。その後、シルビア/ガゼール系にも搭載されているFJ20E/FJ20ETエンジンのファミリーに分類されているが、細かく見ていくと異なっている部分も多い。1983_Nissan 240RS Type BS110 the 51st Monte Carlo Rally Overall-winner

 共通部品も少なく、競技用に専用設計された“別物”だ。最高出力は240馬力で、これが240RSというネーミングの由来とされている。さらに競技車となるエボリューションモデルでは275馬力にまでチューンされていた、という。写真はデビュー戦となった83年のモンテカルロで総合優勝を飾ったクルマそのもので、座間にある日産ヘリテージコレクションにて撮影。


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