平成元年生まれの怪物! スバル車の壁を打ち破った「初代レガシィ」の衝撃 (1/3ページ)

平成元年生まれの怪物! スバル車の壁を打ち破った「初代レガシィ」の衝撃

悪路走破性には優れるも高速時の安定性に苦戦

 初代レガシィは、スバルファンのみならず、多くのクルマ好きから名車として高く評価されている。社内開発コードは44B。開発テーマのひとつに掲げられたのは「世界に通用する走り」だった。

 レオーネ時代、おもに当時の自動車メディアから酷評されたアスファルト上でのハンドリングの悪さ(過度なアンダーステア)と、エンジンパワー不足を大変革。販売面でも大人気を博し、当時のスバルの経営立て直しにも大貢献。WRCでの初優勝や10万キロ世界速度記録の達成など、名実ともに世界トップレベルに達した実績でも名車の誉れが高いが、走りの大改革の源泉はモータースポーツにあった。

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 初代レガシィの走りの良さを紐解くには、やはりSUBARUのラリー参戦活動の歴史を振り返る必要がある。70~80年代の前半頃のSUBARUのモータースポーツ活動は、おもに旧富士重工業の群馬の実験部が関わっていた。ラリーのなかでもとくに耐久性の高さが求められるイベントにスポット参戦し、極限的な状況下で得られるデータを市販車にフィードバック。レオーネの悪路走破性能や機械的信頼性の向上に活かされてきたが、80年代の中盤からその目は世界を向くことになる。

 SUBARUモータースポーツ活動の大レジェンドである小関典幸さんや、小関さんに抜擢されてラリードライバーや監督として活躍した高岡祥郎さん、そして、のちにSTI初代社長となる久世隆一郎さんらの思いがひとつになって「世界の走り」を目指すようになり、次世代モデルであるレガシィの開発コンセプトに大きな影響を与えた。

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 86年から「富士重工」のエントリー名でサファリラリーに参戦し、実験部ではなく「メーカー(ワークス)」として世界レベルのモータースポーツに参戦することでブランドイメージを向上させたい。そんな思いが具現化されたのが初代レガシィだったのだ。

 それまでのレオーネ時代は悪路走破性能の高さでは定評があったものの、舗装路での高速走行時の安定性やハンドリング性能の評価は芳しくなく、ほかの日本車の高速走行性能が著しく向上していくなか、販売面で苦戦を強いられた。多くの自動車メーカーが巨額の利益を出していたバブル経済期にもスバルは赤字を出し続けるという惨状に陥る。

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