クルマの魅力不足? 時代のせい? 意欲作なのに一代で消えた悲しき軽自動車5選 (2/2ページ)

高級感やスポーツ性など軽らしからぬモデルも一発屋になった

3)スズキKei

 1998年秋、軽自動車の規格が変わり、ボディサイズが現行の全長3400mm、全幅1480mmに拡大された。その軽自動車そのものが生まれ変わるタイミングで、スズキが投入したまったく新しいコンセプトの軽自動車が「Kei」である。名は体を表すというが、まさに軽自動車として生まれてきたモデルで、コンセプトはクロスオーバーSUV。当初は、3ドアだけの設定だったのは、登録車で人気のトヨタRAV4に倣ったものだったのかもしれないが、いずれにしてもロードクリアランスを確保したハッチバックというイメージのスタイリングは新鮮で、新しいホットハッチ像を示していた。

 当初からターボエンジンを中心に据えたラインアップだったが、マイナーチェンジ時に登場したスポーツ仕様の「Kei Works」は、アルトワークスの伝統を受け継ぐ韋駄天軽自動車で、レカロシートも設定されたほど。ワンメイクレースも開催され、いまをときめくモータージャーナリスト、フジトモこと藤島知子さんもKeiのワンメイクレースで腕を鍛えた一人だ。ただし、フロントハブの強度不足という理由でワンメイクレースが中止されるという残念なエピソードも残っている。それが理由ではないだろうが、後継モデルを待たずひっそりと消えていった。

4)スバルR1

 軽自動車が360ccだった時代のヒットモデルといえば、てんとう虫の愛称で親しまれたSUBARU360。じつはSUBARU360もロングセラーながら一代限りで消滅したモデルなのだが、そのスピリットを受け継ぎ、2005年にマイクロクーペとして誕生したのが「SUBARU R1」だ。全長は3285mmと“アンダー軽自動車サイズ”で、キャビンは2+2ながら実質的には2名乗車仕様。上級グレードではレザー&アルカンターラ内装も用意された。まさしく小さな高級車的クーペとして生み出されたのだ。

 SUBARU独自の4気筒スーパーチャージャーエンジンも、そうしたキャラクターにベストマッチ。もちろんサスペンションは四輪独立懸架で、走りの面でも軽自動車らしからぬ高級感あふれるものだった。とはいえ、時代はハイトワゴン全盛で、小さな軽自動車が生き残る余地は少なく一代限りでライフを終えた。

5)オートザム(マツダ)AZ-1

 一代限りの軽自動車といえば、1990年代に相次いで生まれた2シータースポーツカー、いわゆるABCトリオはいずれも一代限りだが、ここでピックアップするのはトリオのなかでももっとも売れなかったオートザム(マツダ)AZ-1だ。スズキ製のパワフルなツインカムターボをマツダオリジナルのスケルトンモノコックボディ中央に搭載するミッドシップ・スポーツカーは、ボディ剛性を高めるために大きくなったサイドシルと乗降性を両立させるべくガルウイングドアを採用したことで、デビューした1993年の時点で伝説になることが約束されたモデルだった。

 スタイリングに負けず劣らず、刺激的なハンドリングはシャープすぎてスリリングと表現すべきレベルで、ABSやTRCなどの電子制御を持たないAZ-1をまともに走らせるには高いスキルが求められた。キャビンの開放感を実現するためガルウイングドア上部をガラスにしたことで重心が意外に高いことも運転の難しさにつながっていた。一代限りで消滅したどころか、当初計画通りの生産台数に満たなかったことは残念としかいえないが、このマイクロスーパーカーを操れるドライバーの数を考えると、4500台足らずの生産台数というのも納得である。


山本晋也 SHINYA YAMAMOTO

自動車コラムニスト

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スズキ・エブリイバン(DA17V・4型)/ホンダCBR1000RR-R FIREBLADE SP(SC82)
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