FR回帰は「当然」の帰結だった! フェラーリのフラッグシップ「12気筒モデル」がミッドシップを捨てたワケ

スーパーカーブームの頃のフェラーリはミッドシップだった

 フェラーリは、BB世代(365GT4BB、512BB、512BBi)、そしてテスタロッサ世代(テスタロッサ、512TR、F512M)の両世代で、ほぼ四半世紀にわたって12気筒ミッドシップモデルを生産し続けた。

 そんな12気筒ミッドシップを見直し、再びシリーズモデルのトップを12気筒FRへと回帰したのは、1996年にデビューした、550マラネロでのことだった。

 エンジンを車体の中央に置くミッドシップ方式の利点、そしてミッドシップという言葉そのものからイメージするスポーツ性を考えれば、次世代モデルも当然のことながらミッドシップと考えるのが妥当と考えられていた時代、このフェラーリの決断はさまざまな議論を呼んだ。

 フェラーリが次世代12気筒モデルでミッドシップを諦めなければならなかった理由はいくつもあるが、そのなかでもっとも大きなものは、それまで使用してきた180度のバンク角を持つV型12気筒エンジンの旧態化、そしてその搭載方法があげられる。180度という特殊なバンク角のV型12気筒エンジンを搭載するには、ギヤボックスとミッションのユニット上に積み上げるほかはなく、別の搭載方法を考えた場合には、それに必要な開発費は莫大なものになってしまうのが直接の理由だった。

 ここで新型のエンジンを開発すべきもなく、フェラーリはすでに2+2GTの456GT用に65度の5474cc V型12気筒エンジンをデビューさせたばかりだった。

 その強化版エンジンを、やはりフロントミッドシップの手法を用いて、さらにギアボックスとデファレンシャルを一体化してリヤに配置。その間をプロペラシャフトとそのサポートを兼ねるチューブで結ぶという、トランスアクスル方式を用いることで、前後重量配分の最適化を図ろうという結論に達したのだった。

 550マラネロに搭載された5474ccのエンジンは、456GT用のそれからさらに43馬力パワーアップされ485馬力を発揮するに至っている。このパワーをいかに効率的に路面へと伝達するのかに関しても、フェラーリは一切の妥協をしなかった。より高剛性なフレームと、フロントに上下Aアーム、リヤには上下H型のダブルウイッシュボーン・サスペンションを構成するとともに、2モードの減衰力コントロールを装備。さらに驚かされたのは、エンジンのフロントミッドシップ、そしてトランスアクスルの採用によって、前後50:50の重量配分を実演していたことだった。

 フェラーリにとっておよそ四半世紀ぶりのFRへの回帰は、けして技術的な後退などではなく、正常進化、それも歴史的な節目となる進化にほかならなかったのである。


山崎元裕 YAMAZAKI MOTOHIRO

AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員 /WCOTY(世界カーオブザイヤー)選考委員/ボッシュ・CDR(クラッシュ・データー・リトリーバル)

愛車
フォルクスワーゲン・ポロ
趣味
突然思いついて出かける「乗り鉄」
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