確かに最近「影が薄かった」けど「シーマ」も消えるのか……「現象」まで巻き起こした高級車は何モノだったのか? (2/2ページ)

日産の最高峰として究極まで極められた

 1992年9月にはスカイラインGT-Rなどで知られるトルクスプリット4WDシステム「アテーサE-TS」を搭載した4WDグレードを追加。1993年9月のマイナーチェンジにおいて、3リッターV6のDOHCターボエンジンを復活させるなどラインアップを充実させていった。

 1996年6月にフルモデルチェンジして誕生した3代目シーマでは、従来モデルのラインアップを受け継ぎ、4.1リッターV8エンジンと3リッターV6ターボのラインアップとなった。V8エンジンと比べてしまうためV6ターボのほうには廉価版といったイメージが付いていったのは否めないが、じつはV6ターボは従来のVG型からVQ型に変わっている。

 このフルモデルチェンジではSRSサイドエアバッグを全車標準装備にしたのもトピックスのひとつで、オーナーカーのフラッグシップとして確実に進化していった。

 ただし、スタイリングのイメージは従来のシーマとは方向性が異なるもので、日産ファンの間からは「初代レパードを思わせる」という声も上がっていたと記憶している。つまり、スポーティセダン的なテイストも有していたというわけだ。

 とはいえ、バブル経済の崩壊から5年以上を経てユーザーの嗜好も変わっていた。初代モデルが巻き起こした「シーマ現象」のようにオーナーカーとして売れたというよりは、トヨタ・クラウンマジェスタのライバルとしてショーファードリブンに活用されるケースが多くなった印象もある。具体的にはカンパニーカーのヒエラルキーにおける下位モデルとしてシーマは位置づけられていった。

 また、この世代においては後席サイドエアバッグ、ミリ波レーダーを使った車間自動制御システム(現在でいうACCのような機能)などが設定され、日産のテクノロジーショーケース的な役割を果たしたことも印象深い。

 そんなシーマがゼロベースで生まれ変わったといえるのが、2001年1月にフルモデルチェンジした4代目だ。プラットフォームは一新され、上級グレードのエンジンも4.5リッターV8エンジンになった。こちらの型式は「VK45DD」型で、アルファベットからもわかるようにガソリン直噴仕様となっていた。ただし、後期型ではVK45DEというポート噴射仕様に変わっている。

 V8エンジン車については、7つのライトを組み合わせた「バルカンヘッド」によって差別化したが、そのインパクトのあるヘッドライトは後にカスタム系での流用チューンで人気になるなど、ドレスアップのトレンドを作ったことでも記憶に残る。

 なお、この世代のシーマは、日産のショーファードリブン専用車である「プレジデント」とホイールベースやボディ外板が共通で、フロントグリルやバンパーが異なるだけの兄弟モデルとなっていた。つまり、ハードウェアとしてはシーマ史上最上級の仕上がりだったといえる。

 そんな4代目シーマは、2010年8月にいったん生産終了となり、シーマの歴史にピリオドを打った。同時にプレジデントもディスコンとするなど、日産はセダンのラインアップを整理したのが、この時期だった。

 シーマ、プレジデントといったショーファードリブンモデルがなくなったのはビジネスとして成立しえない市場規模になっていたという背景もあるが、だからといって日産のショーファードリブンを求める声がゼロになったわけではなかった。そうした声に応えるカタチでシーマが復活したのが2012年4月だ。

 しかしながら、過去のモデルとは異なり、5代目シーマは日産の高級サルーン「フーガ」のロングホイールベース仕様といえるもので、パワートレインも3.5リッターV6エンジンを用いたハイブリッドのみとなっていた。

 ちなみに、フーガのロングホイールベース仕様は5代目シーマのために作られたわけではなく、そもそもはロングホイールベース仕様へのニーズが大きい中国市場向けのインフィニティM35hLがベース。当然ながら一般向けというよりはハイヤーなどフリート向けモデルといった位置付けで、ショーファードリブンの主流がLLサイズのミニバンへシフトしていく中で、徐々に需要が減っていったのも事実。

 ここ数年は、シーマというモデルが役目を終えたと感じることも多かった。生産終了という話になっても惜しむ声がそれほど上がらないのは、そういうことだろう。


山本晋也 SHINYA YAMAMOTO

自動車コラムニスト

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